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雑考・メモ・日記 「インフォーマルであるという事」


●インフォーマルな活動は魅力であります。でもそれは簡単ではない。難しいと思います。                                ●その活動が認知され承認されることが簡単ではない、難しいと言いたいのではありません。インフォーマルであろうとする気構えが、とっても難しいという事です。                           ●というのも、フォーマルから外れたインフォーマルは、フォーマルになり替わらんとする志向に走りがちであるから。              ●そんな事を書くと、じゃあフォーマルに対する批判意識をインフォーマルのアイデンティティとすればよいじゃあないか?アンチフォーマルで行けばいいじゃないか!という意見が跳ね返ってくきそうですが、やっぱりそれも違うじゃないかと思ってしまいます。                 ●じゃあ、何なのか?
●フォーマルでもアンチフォーマルでもなく、両極の対立を対立のまま未解決のままにそれを問い、問いに揺れ動くその在り方をこそ、私はインフォーマルがインフォーマルたる、その根拠としてみたい。          と思うのです。                           

●追記。対立の間に二極を媒介し調停する第三項を置けばいいんじゃないか?という意見もあると思いますが、その第三項が「問い」であり問いによって「問いに揺れ動く」という領域なのはないか。換言すればその「問いに揺れ動く」事が「あそび」であるのではないか。            ●そういう「あそびとしての問い」はホイジンガもカイヨワもまだ論じていない。

●2021年4月 岡村正敏

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