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短い文章であっても毎日書くべし

こんにちは。okknです。

noteのバッジの仕組みはなかなか面白いですね。
毎日noteを書いたり読んだりする原動力となっており、うまく乗せられている気がします笑

今日は短い文章を書く意味を自分なりに考察してみました。

よく、blog等の物書きを始めたばかりの頃は「質より量、毎日書け」との至言がまかり通っております。
しかしながら、私はここには含意があると思っております。

私が理解しているところを述べると、「(最初のうちは)質(を意識する)より量(を意識すべきで)、(その理由は)毎日(記事を書く中で自己努力し、研鑽し、書き方・表現方法を学ぶためだ。だから)書け」であります。
すなわち、努力もせず表現方法も学ぼうとせずにただただ記事を量産するだけでは、PV数も増えないし、noteで言うところの「スキ」の数も増えないわけです。
別にそんなことを目的としていないという方はそれで良いと思います。
しかし、誰かに何かを伝えようとしている人たちがblogやnoteをやっているわけで、そのような人たちは思いの強弱はあれど少なからず「多くの人に読んで欲しいなぁ」と思っているはずです。

そういった思いがあるのであれば、趣味でblogやnoteをやっている人であっても、努力は少なからず必要なのではないでしょうか?

別に趣味でblogやnoteをやっている人に向けて、「プロブロガーのように努力しろ」と言っているわけではありません。

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さて、STORYS.JPを運営している清瀬さんの以下のnoteを拝見いたしました。

多くの人の心に残る文書は大概長文である、と。
私もこの点には同意です。
原稿用紙3枚以下程度の文章はあまり心に残っているものはありません。
残っていたとしてもそれはフレーズ単位の話だと思います。

先述のリンクでも述べられていますが、Twitterでのバズるものとblog等でのバズるものは性質が違います。
Twitterでは感情に直接、即座に訴えかけるものがバズっていると推測します。
片や、blogやnoteでは心に響いた文章がバズっていると推測します。

即ち、blogやnoteにおいてPV数や「スキ」の数を多く得ようとすると、それだけ心に響く文章を書かなければなりません。
そしてそれはほぼ間違いなく長文でなければならない、と。
そんな文章をもし毎日量産し続けることができれば、それだけ多くの人に読まれる可能性のある文章が量産されることを意味します。

しかし、現実的にはなかなか難しいですね。
故に、長文を生み出す隙間時間で、表現技法や文章の流れ等を整理する力を身につけるための短文を書く、という必要があるのではないかと思います。
つまり、短い文章を書くことはいわば優れた長文を生み出すための鍛錬です。
そういったことを意識しながら書いていけば、短文でも実りのある文章になると思います。

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■まとめ

・最初は質より量を書くことを意識すべきだが、書いていく中で文章の質を向上させる努力をすべき
・短い文章を書くことは、優れた長文を生み出すための鍛錬である

こんな感じです。

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