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できることなら純度1000%で

できることなら純度1000%でいたいと思っている。と、深酒をしたわけでもないのに熱く語ってしまうのは僕のくせだ。音楽やライブは内に力を張り巡らす事だと思っているけど、聴いてくれる人がいなければ僕は何者でもないわけで、“自己の為の芸術”でありながら“他者に向けた芸術“でもある。最近そう思えるようになってきた。以前は前者だけのパワーだったけれど、今は"誰か"に意識を向けている。今まで内に力を張り巡らしていた人間がいきなりこんな語りをしているわけは、大好きなミュージシャンとの出会いが大きい。

———気づけばその人と2、3時間も話している。そこで語られるのは概ね30分のインタビューなどでは出てこないようなもので、性格の真髄に触れるような対話性と不思議な時間の流れを感じる。特別直接会って言葉を交わしたわけではなく、出来合いのオンライン通話である。身体的な会話がない分、衛生環境を返した魂の交流はなかなか難しい。ただ、その日はかなり話し込んでしまって別の仮想空間に迷い込んだような気配すらした。今日、見聞きした言葉を生きているうちに書き留めておくべきな気がした。

「純度100%でいたいね」と僕に話してくれるのは気さくな先輩。幼い頃の僕はその人とも話せるとは思ってなかった。自分にとってみれば憧れの存在である。受験期、『fallin‘』という楽曲で僕はその人に出会い、僕の道玄坂渋谷区はこの曲で構成されたと言っても過言ではないほど聞き込んだ。

そんなアーティストのワンマン・ライブに今これから僕が出演するなんて昔の僕に言ったらなんというのだろう。『明日死んでも良いなんて全て叶うまで無しにしようぜ』という歌詞が僕の胸の真髄まで届き、ライブ一曲目から泣いている。恋愛は命がけなの、と人間失格の虚無に漂う言葉、かつ本質めいたセリフが自分の経験とフラッシュバックして蘇る。待機室で『fallin』を聞いている僕の姿は過去の僕から想像できただろうか?憧れていたアーティストと、お前今曲作ってるんだぜ!と高校生の頃の自分に言い聞かせてハグしたい。できることなら、思いっきり。

Ghost like girlfriendさんの初対面はWWWの生配信のイベントだった。ソロプロジェクトということが共通していることもあって、宅録のプラグインの話で盛り上がったり、僕の今の状況とゴーストさんの遍歴がたまにパズルのようにピッタリと合い、導いてくれる瞬間がある。深い個性の追及のジレンマに入っていく僕に対してしっかりと誰かについて歌い届ける、そしてシンガーソングライターとして生きるという確固たる志が僕の胸を貫いた。

僕には多かれ少なかれ周りにそういう人はいなかった。クラスで音楽をやって配信や活動をしているのは僕だけだったし、僕は僕しか信用していないと半ば孤独で、ましてやシンガーソングライターとして同じ感覚を並走させ同じ志を持つ仲間はいなかった。だが孤独なりに、インディペンデントに、感受と物の表現を追求していくことは僕にとって素晴らしい時間だった。

そんな中ゴーストさんはポップスに対してすごい形相で向き合いながら誰かに向けているし、届いて欲しいという思いが滲み出ている。僕は本当に自分で言うのも少し気恥ずかしいが、影響を多分に受けていると思う。メロディーを死ぬほど愛しながら作ること、内に溢れる情熱と優しさを惜しみなく音楽としてパッケージすること、そしてそれによって誰かが救われるということも全部教わった。

ステージに上がると一気にお客さんの温かな眼差しとゴーストさんの作り上げる世界に呑まれた。一瞬で体が痺れた。脳内は恍惚となり、見るもの全てに色が差し込まれた。これは緊張の痺れではなく、幸福感のようなものが一瞬で体を貫通した痺れだ。ただ、もはや何があったか覚えてない。必死に歌うと言うよりかはその幸福感に抱き寄せられたと言う方が正しい。走馬灯のようにいろんなものがフラッシュバックし、ゴーストさんの優しく温かな一面に注目しつつも独自の実践を心がける力強さを分けてもらった。

いや、共にしたという表現が正しいのかもしれない。”神に愛されていると思える間 俺は強いぞ“なんて詩が思い起こされる。ここで神を引き合いに出すのはなんだか狡いなと自分でも思う。思うけれども、あの人の肩におさまると全てが大丈夫と思えてくるのだ。無論、自分の目と頭だけは自分のものにしておかなければならない。そういう意味で本当に僕の想像力を大切にしてくれている。色というものはどちらも生かし合って美しくなるものなのだ。僕はそう思いながら素敵な空間に身を置いた。ただ、何があったかは鮮明には思い出せないけれど、ゴーストさんが抱き寄せてくれたあのぬくもりだけは鮮明に覚えている。

真夜中のドアはあなたと開けたい

真夜中のドアは開けるものか、閉ざすものか。どっちも解釈の余地があってもいいのだろうけど、真夜中に飛び出すとなんでも出来る様になるあの感覚は面白い。真夜中のサイクリングとか聴くだけでなんでも出来そうな気がする。真夜中に外で彷徨くなんて僕は悪い子ですと思いながら駆け出すあの感じは何にも変え難い青春感みたいなものがある。よく青春は永遠であるみたいなことをよく聴くけど、折学生が終わったのにもかかわらず青春を感じる瞬間は多いのだ。本当に仲のいい友達とは馬鹿だぁーと笑いながら許してくれるような会話ができるみたいなあの瞬間も以外といいもの。馬鹿だなと罵倒しながらも笑いながらそれを許してるところに優しい世界を感じる。


伝説のワンマンを終え、自主企画にも本腰が入る。がっきーとリハーサルを終え夕食にありつけると、真夜中のドアという楽曲が世界のバイラルチャートで1位を獲得しているというのが話題に上がった。シティーポップが再評価され度々世界のバイラルチャートに出ることは最近では多くなってきている。松原みきの「真夜中のドア」。僕ら二人はその曲を知らなかったけど、「今日はシティーポップを聴いて帰るか!」となんだか勉強会みたいになったのが面白かった。


翌日、がっきーからラインが入った。「昨日話してちょうど竹内まりや、さぶスク解禁してる」と。「えまじかよ!!!」と俺。「配信されました!ぜーーーーーんぶあります!!!」とがっきー。

それにしてもタイムリー過ぎる、タイミングよく昨日の話題が本日になって降ってきた。

「僕らに気を使ってくれた」とがっきーは言う。そうかもしれない。竹内まりやが僕らに気を遣ってくれたのかもしれない。全く遠慮ない物言いだが、この謎の楽観的な発言が世界を救う。主語が肥大化した特有の茶目っ気のある発言が世界を救う。

大丈夫、結果は出る。といつも僕に目線で語りかける。“かっこいいかどうかは俺が決めるんじゃなくてお前が決めるんだよ”といってくれてる気がする。言葉にせずとも彼の楽観的でパワフルな真髄が反射して背中を押してくれる。あぁ、僕はこの人にいつも救われてるんだな。僕が伝説のワンマンライブをやるんだとしたらこの人がいないワンマンライブは考えられない。もし真夜中にドアを開けるのだったらこの人とがいい。きっとなんでもできるようにな気がするから。


網膜


自主企画を終え、アーカイブ期間も終了しやっと落ち着いて文章を書いている。正直この1ヶ月はこの事しか考えていなかったし、考えられなかった。ライブは勿論、個展にVJ、動画編集にWebサイト制作、ポスターも全部自分で作った。できることは全部やろうと決めた。

リアルタイムの尺に合わせたオンラインライブはなんだか退屈だし、リアルで出来る様になるのを待つのも及び腰だ。だから今回はオンラインで舞台裏をうつし、対談や個展のツアーを実施し、実際にその場にいるような空間をVTRで作り上げた。VRも同時にエフェクトをかけたりした。ただ予想外だったのは配信側の問題で音飛びしてしまったこと。これは今までにもなかった事例らしく予想不可能だった。(ただレコードしたものがあったのでそちらはデータが無事なようだった。再編集してお送りできるように現在でも準備中。)

オフラインでは存分に楽しんでいただけたなと実感がある。やはり直接感想を言っていただくのは何者にも耐え難い。

ただ今回予想以上に困難だったのは個展とライブ諸々を全て一人で同時進行した点にあった。

ちょうど企画をしようと企てたのは第二波が収まりかけてる最中のこと。現在では周知の通り第三波が到来している。それでもオンラインとオフラインの共存はできないものかと自分なりに考えた。だがこの時期にライブを実施するプレッシャーは想像を遥かに超えた。でもやれることはやるしかない。

やれることは全部やってるよとがっきー。いつもそう言って勇気づけてくれる。ただ僕はもう自身の世界に入り込んでしまっていたので、正直周りの世界があまり見えなくなっていたと思う。

今は無事に終われた!とホッとはしているが、翌日はものすごい無気力に襲われた。足元が波にさらわれるような感覚に襲われた。まだまだアマチュアだなと感じた。才能に打ちひしがれた気がした。でもプロの領域に踏み込めてないなと感じてしまうのはいつものこと。音楽に愛されてる人をこの目で見てきたからこそ、そこには辿りつけないのかもしれないとぼんやり思ったりもした。これからも僕は才能に打ちひしがれるのだろうか?きっと悩むだろう。だけれど、誠実さでは絶対に負けてはいけない。負けてる気がしない。才能が十二分にないと感じる時でも、せめて僕のこの想いや熱量は本物なのだ。機材や技量はまだまだと実感したけれどもこのアマチュアの反骨精神は絶対に忘れてはいけない。そしてそういう人を累々と見てきたからこそ第一線で活動する人間が素晴らしく思えるのだ。僕がここで負けたら本当に終わりだ。そして然るべきタイミングで道は開ける。

この公演は僕の未来への架け橋でもあった。大学は卒業へと近づき、就活の足音も聴こえてくる。第三波の先に何が待ち受けているかもわからない。そんな中もしかしたら自分は音楽ができる環境に身を置けなくなってしまうかもしれない。だからこの公演は思いっきり自分の音を鳴らしてやろうと思った。「世界はもう変わらないかもしれない。」ではなく主体的に「世界を変えていくのだ。」と。

僕は曲がりなりにも自分の音楽を鳴らした。そして僕がこの世界で踏みとどまることを、希望を、愛を歌った。本当にしぶといと思う(いい意味で)。ここでは終われない。

そして僕にとってゴーストさんも未来への架け橋的な存在であった。小さな寝室のミュージックから大きな未来へ羽ばたく季節、僕に力を貸してくれる希望のような存在なのだ。”自己の芸術”をしっかりと外へ向ける世界を作り上げること、未来へ視座を向けた歌を歌うこと、そんなテーマが浮かび上がってきた。これは使命のようなものだと思った。ゴーストさんと出会い未来への架け橋をかけるための。


僕がもう一つ未来へ向けて希望を歌う理由がある。それは高校時代に遡る。

「大学生は忙しくて埋没してしまうのよ。最悪ワークホリックで死んでしまう友達もいるかもしれない。だからあなたたちはやりたい事をちゃんと自分でわかって学ぶ必要があるんだ」と予備校の先生の言葉。

僕はその日から知性を大切にして人生を生きようと思った。そう生きようと覚悟してきた。ただこの時勢でこの言葉の意味がより自分の中で大きくなっていった。本当にワークホリックになってしまうかもしれない。本当に大切な人が亡くなってしまうかもしれないと。様々な人の訃報を聞く度に僕の内は暗く濁っていった。いつのまにか希望の歌を歌えなくなっていた。


"あなたの煌めきを忘れたくない"


僕は祈るようになっていた。この時期は対人関係にも迷惑をかけていったと思う。だから僕は脱出しなければ行けないと思った。ワークホリックやダウナーな気分で大好きな友達が死んでしまってはいけない。少しでも僕が力になれればと。


”僕はこれから世界で一番タフになるの“


友達にこれを聴いて元気出せ、と差し出した。自分の曲で一番パワーが出るのはこの曲だなと自信満々に送った。今僕が聴いたらどんなふうに思うかなと自分でも気になり、おもむろに再生した。自分の作った楽曲なのに、なんで僕が泣いているんだろう、と途中で僕は思った。涙が止まらなかった。1番タフじゃないのは僕ではないか。世界で1番と赤子のように叫んだあの瞬間、僕は希望の歌を歌っていたのだ!なんて情けないのだろう、自分の過去の言葉で救われる瞬間があるなんて。でもこれが人間なのだ。ものになるならないは、実に一寸した瞬間で決まるのだ。人生は一本道ではない。さまざまな伏線が四重奏のように折り重なり新たな地平を作り上げる。

生きている それだけで奇跡

愛や折り重なる不完全な感情に欺かれ、幾たびとなく傷つけられ、幾たびとなく不幸となった。時には苦しみ、考え違いもした。だけれども僕は生活をしている。僕の音楽の声明やライブの情動が新たな視点として誰かの網膜へ届き、その人が一瞬でも生まれ変われるのなら僕は強く、強く、生きよう。この想い、希望、精神が越境し、一夜でも誰かの過酷な夜を救えるのならば、僕は歌い続けよう。例え、この世界に音楽がなくなったとしても。

okkaaa

他愛もない独白を読んでくれてありがとうございます。個人的な発信ではありますが、サポートしてくださる皆様に感謝しています。本当にありがとうございます。