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また会おうね

ベストワークだと思ってます。お世話になった友達へ恩師へ親友へ家族へ。みんなに聞いてほしい。

なんだかんだ同級生とか親友に新曲好きだわーと言われるの嬉しいんだと最近気づいたりしたり....それがポップスにおける正当な評価だなと思うからです。世界観に入り込まなくても一度聴いただけで好きだなと思えるメロディーや言葉やメッセージが有ればそれは誰かとってのポップになる。不特定多数の僕と感性が似た人へ繋がるのは勿論楽しい。だけどそれは表現というものの特性のようなものだから、意識しなくても届くものなのかなって思ったりするんです。その壁を越えるためにはやっぱりエゴより概念について考えてそれを言葉や風景にするのがポップスにおける大切な作業の一つなんじゃないかなと思い始めています。
だから今回いつも音源を送る親友にあえて踏みとどまってみたり、音楽の話をしない友達の前で少し話してみたり、明確に聴いてほしいと思ってるからこそ、背反な行動に出ちゃってますね。(恋かよ

そう思うと「また会おうね」という言葉は友、恋人、家族と引き止めてくれる普遍的な呪文のような言葉だなと思うわけです。手紙を書くときに出てくる季語や言葉は優しい表情を持ちながら時には愛らしく時には疎ましく時には苛立たしく思う。いろんな感情の意味のこもった言葉が力を持って歌詞としてその人の今を規定していく。だからこそヒグラシでは今まで僕がたどり着けなかった何かが生まれていると確かに思うわけです。歌世界の中に大きなストーリーが立ち上がって訴えかけてくる。僕はこの物語にいつだって身を寄せることができるし誰にだって渡すことができる。


ヒグラシを書き上げた時、一瞬で僕のものではなくなったような気がしたんですよね。普段なら独り占めしたい!と思える歌詞やサウンドも今回はもっとみんなに聞いて欲しい。そっちの方が強かった。これはたぶんステップの段階の話であっていまたまたまそういうモードにあるだけかもしれない。でもこの景色が見れたことは僕にとってとても重要なことだと思います。


そして今回のリリックビデオの監督はTaichiHishikawa。heartbeatも一緒に制作したツーカーの仲です。今回はheartbeatの時と違ってこの曲を彼の作品として寄稿したい!という少し変わったマインドでした。

今まで割とMVもジャケも自分でやってきたせいか、誰かに頼ったり全肯定を委ねたりするのが結構苦手だなという意識があったんです。なぜならそこにエゴが介入するから。ここ俺だったらこうしたいなとか思い通りに進行させたいみたいな。クリエイターとしてとても素敵なことではあるけれど一線を超えると危ないんだと教わる機会がありました。

その体験を経てというのはもちろんなんですけど、今回はもっと明確な理由があって。それは先ほども述べた通りこの曲は誰かにあげたいという素直な気持ちが芽生えているからです。ギフト感。自分だけで留めておきたい!というものがなくなっているからこそ誰かにこの曲をあげたり、その人の意識の上で転がることは何も怖くないんです。これは諦めではなくてむしろ希望。誰かのストーリーとしてまた新しく曲が動き始めるという物語に対してのワクワク感。だと思います。

今回はそれ含め全部楽しめている。久々に新曲のリリースで周りのことに身が入らないでいます。(とってもとってもいいこと)

そして今回話したギフト感が正しいということを伝えたいわけではありません。これはたぶん波のようなものなんです。蓄積、累積、を繰り返した上で実装があるわけで今回はその蓄積した荷物を下ろす時。そしてまた荷物を持って重い腰を担っていくのでしょう。だから今自己更新して新しいスタイルを追求し続けてる人も最高なわけです。

大きな作品の本格的な制作に入る前にちょっとこういうことを思ったんです。腰が重くなり抱えたものが多くなった時また見返そう〜という軽い気持ちでこの所感をここに綴ります。ではまた

okkaaa

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okkaaaの感じたことやパースペクティブを、風景、写真、詩とともに散文調で綴るエッセイです。音楽では伝えきれない自分の視点や内的自省を届けたいと思い執筆しています。月5回~更新。

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