文化系と卒論とマラソンと。(後編)

卒論の方針が固まり始めたのはマラソン大会まであと2週間というところだった。とにかくひたすらに論文を読み、自分の勉強不足をひしひしと感じ悶えていた。

そしてマラソン大会まであと3日。論文を読み切れてないのでスマホにダウンロードした上に、参考文献になる本も持って那覇行きの飛行機に乗った。パソコンを持っていけない不安をかき消すように一睡もせずに読み、祖父の家でも時間の許す限りずっと読み続けた。

そして当日。距離ごとの状況を述べていく。

・スタート〜7キロ地点
卒論から一時的に解放されたからか、自分の人生の中でトップを争うほどアドレナリンが出ていた。普段の練習よりもかなりオーバーペースで走っているのに疲れない。なんだこの状況。

・7〜14キロ地点
道中で配られるミカンや、水を飲みながら走る。普段の練習にはない救援物資と声援のおかげで体力的にも精神的にも元気になれた。

・14〜ハーフ地点
恐ろしいほどの上り坂があり、それを全力で走って登る→歩くを繰り返す。ハーフ地点に着いたときにはとても感動して母親に電話。(なお走らない親戚一同は30キロ地点くらいで待っている。遠くね。)しかし汗のせいでかけるのに手間取って長い時間歩く。

・ハーフ〜30キロ地点
ここから足が言うことを聞かなくなり出し、痛みを伴い始める。水は半分飲み、半分は下半身にかけた。この状況の下り坂は競歩みたいな愉快な走り方になることがわかった。

・30〜35キロ地点
ついに親戚一同と遭遇。アクエリを貰ったが暑すぎて全部頭からかけた。もう全身びしょびしょである。

・35〜ゴールまで
残り5キロというところで完全に足が動かなくなり、ずっと歩き続けた。計算上走らずともゴールできるほどタイムを稼いでいたから心置きなく歩いた。「本当に完走できるんだ」と思えた瞬間から、泣きそうになりながら歩いた。

かくして、俺は人生初のマラソンで完走を成し遂げたのだ。初めは絶対無理だと思っていたし、ハーフ地点まで着ければ万々歳だと前日まで言っていた。ところが、親戚のみならず運営の人や近隣住民の応援は、俺も予想できないほどのエネルギーをくれた。

とにかく、フルマラソンを走りきったという事実のおかげで、卒論もちゃんと出来るような気がしたのだ。ここでのメンタル回復は大きく、また考え方も変わり「今この章まで来たから25キロ地点くらいか…」と、卒論を「終わるもの」として捉えられるようになっていた。次の提出の時には「来週には終われそうだね」と教授に言わしめるほど進められた。

バンドをやることには、運動部ほどわかりやすい「終わり」がない。俺はこのマラソンを通して、「終わり」を意識した時に、人間は試練を超えられるのだということを、身をもって学んだ。

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