大好きなラジオが終わる時、あなたはどうしていたいですか?

皆さん、おはようございます。

前回のnote、そこそこ沢山の方に読んでいただき、いくつか反応をいただけて嬉しかったです。個人的に思い出深いメールを覚えていてくれる方がいて、あの時、あの瞬間を共有していたことがわかってとても嬉しかったです。ただ、前回の内容は割と"採用"に焦点を当ててしまっていたこと、しかも、極々個人的な考え方に固まっていたことを反省しています。「採用されやすいメールとかじゃなくてメールの楽しさを教えてやれ」という意見も見ました。今回はそれに対する反論…ですらありません。言い訳のようなものです。
ちなみに、前回の内容も採用されやすいメールというよりも番組的に使いやすいメールと思ってもらえればいいです。基本的に私が狙っているのはそのポジションなので…。さて、ではなぜ前回はそんな内容について書いたのか、その言い訳を今回は書いていきます。「言い訳なんて見たくない」と言う方は構いませんし、ここからは今の私が考えていることなので、明日の私が同じことを考えているかはわかりません。ご了承ください。それらを踏まえた上で、ここからの駄文に付き合ってもらえたら嬉しいです。

ラジオの終わりとは。

全てのラジオは、いつか必ず終わります。「そんなこと当たり前じゃないか」と笑う人もいるでしょう。ただ、今一度自分に説いてほしいんです。今、あなたが楽しく聴いているラジオの終わりを、あなたはリアルに思い描けますか?当たり前のように、その終わりを考えられますか?私には考えられません。今まで何度も"ラジオの終わり"を味わってきましたが、何度目だって、いつもその時、その番組毎に違う感情が湧いてきます。

さて、ラジオが終わる時、というのはどういう時でしょうか。改編の波に飲まれた時、スポンサーが離れた時、初めから決められた1ヶ月や1クールといった期間が終わった時、タイアップしていた作品が終わった時。他にも、パーソナリティが引退や体調不良によって番組の続行が不可能になった時。はたまた、自分自身がそのラジオを聞かなくなった時もある意味、あなたにとってはそのラジオの終わりでしょう。そんな様々な終わり方が存在します。きっと、今これを読んでいる人はいくつも思い返す番組があると思います。もちろん、私も、しっかりとラジオを聞き始めたのはここ4年ほどですが、様々な終わりを体験してきました。唐突に終わりを迎えた番組もありました。逆に、1年前から告知してくれていた番組もありました。はたまた、特に理由もなく聞かなくなってしまい、そのまま気付いたら終わっていた番組もありました。
その時、私の中に多少なりとも生まれた感情は、後悔でした。「毎回聞いていればよかった」「もっと愛していればよかった」「もっとメールを送ればよかった」様々な後悔が私を襲ってきます。どれだけ、あれだけ、番組を愛していようとも、その感情に襲われるのです。

一人のリスナーが出来ること

そんな終わりの時に対して、私達に出来ることはないのでしょうか。それがあるんです。それがラジオの素晴らしい所です。毎回聞くだけでもいいです。ツイッターで実況するだけでもいいです。それこそ、メールを送るだけでもいいです。送ったメールによって、番組に大なり小なり波が生じます。番組で読まれなかったメールでも、スタッフさんが読んでいることもあります。単純に数がモノをいうことももちろんあります。それが、番組の終わりを遠ざけることになることもきっとあります。
また、せっかく好きな番組なら、もっともっと一緒に楽しみたくないですか?採用されるメールが偉いなんてことは言いません。沢山メールを読まれている人が偉いなんて絶対に思いません。それでも、何か行動を起こした方が、そのラジオに入り込めると思うんです。それが出来るということが、ラジオの良い所なんです。
一通のメールがパーソナリティの記憶に刻まれることがあります。番組の方向性を変えることがあります。番組が終わった後でさえ、多くのリスナーの記憶に残ることがあります。それって、とても素敵なことじゃないですか?
もちろん、そんなこと望まないという人の気持ちもわかります。番組を楽しく聴いているだけのリスナーが悪いとは思いません。
でも、どうか、少しでもラジオが好きで、パーソナリティが好きで、その世界が好きならば、試しに何か行動を起こしてみてください。きっと、それが何か、素敵な奇跡に繋がることがあるんです。

正直、遠巻きに見ているだけって、もったいないですよ?

大好きなラジオが終わる時、どうしていたいか

さあ、大好きなラジオが終わる時、あなたはどうしていたいですか。どうしていますか。
「特に何の感情も抱かない」なんて悲しいことは言わないでください。今までの楽しかった思い出を思い返してください。きっと、あなたが長く、深く、関わっていればこそ、思い出は沢山あるでしょうし、寂しい気持ち、後悔する気持ちも大きいと思います。でも、きっとそれこそが、そのラジオが楽しかった証拠、そのラジオを愛していた証拠になるんです。
だから、大好きなラジオの存在が当たり前じゃないことを今一度意識して、でも、だからこそ、あなたなりに、当たり前に愛してあげてください。そうすれば、そのラジオが終わった時、改めて自分がどれだけそのラジオを愛していたかが分かります。むしろ、その時初めて本当に実感できるものではないでしょうか。

では、私はその時をどうしていたいか、ですが。

もちろん、その時はボロクソに泣いていくつも何度も後悔して、でも、だからこそ楽しかった愛していた。そう思えるように、これからも当たり前にラジオを楽しむんです。

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