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自己紹介:お気楽と申します。

「学校の先生なんですか? 近づかないでください。」

これは、師匠に一番最初に言われた言葉です。もちろん冗談まじりだったのですが、たぶん本音に近いものがあったのだと思います。

そもそも、みんな学校の先生は嫌いですよね。えぇ、わかります。私も嫌いでした。

何の因果か、自分では絶対になりたくないと思っていた教員になってしまったのですが、以前の私は、教員としての生きがいどころか、自分自身の生きる意味さえも見出せずに、閉塞感というか息苦しさを感じながら、日々を過ごしていました。

師匠との出会いは10年ほど前のことになります。私はある学びをしたくて師を探していたところ、知人からの紹介で師匠から学ぶチャンスを得ました。

師匠という人はかなり大きな会社の経営者で、しかも一代で全国展開させ、その業界ではカリスマと言われる人だと教えられました。そして、私の学びの道においても超一流の腕前。

職業的には嫌われていても、この人から学ぶしかない! とメールでアタックをしまして。。。私の修行の日々が始まりました。


「会社経営でも何でも人生哲学が必要」

実際のところ、自分が学びたい事を師匠に「教えてください!」と言っても、なかなか教えてもらえませんでした。「本を読みなさい」としか言われません。

一番最初に読まされた本は、忘れもしない、アラン「幸福論」

学びたい事とは全然関係ないような本なのに、なぜ?という疑問符ばかりが頭に浮かんでいました。

でも、読まなければチャンスを逃してしまうと思って、必死になって読みました。難しくって全然読めない。。。1日たった1ページしか読めないなんてこともザラでした。

当時は、私の他にも入門者がいたので、他の人も幸福論にチャレンジしたようでしたが、最後まで読み切ったのは私だけだったようでした。

どうも師匠は、ふるい落としのために使っていたフシがあり、、、でも、「アランが読めなくてはどうにもならない」とも後日話していましたので、苦労して読んで良かったな、と思いました。

ところが1冊読んだところで終わりではありませんでした。その後も、モンテーニュ、アドラー、中村天風、二宮尊徳、福沢諭吉、渋沢栄一・・・などなど、数知れない本を読むように言われ、言われるままに読んできました。

本を読んでは師匠に解説してもらったり、教員生活での悩みを哲学的な視点を与えて貰ったりして、心の在り方について学び、自己改革をしてきました。


「学校の先生は天使の心で平気で悪い事をする」

師匠のこの言葉は、学び始めた頃の私には、全く理解ができませんでした。

人生哲学の学びを続けていくうちに、変化が一番最初にあらわれたのが学校でした。子どもの問題行動が不思議と解決していく。クラスのトラブルが無くなっていく。子ども達の笑顔があふれるクラスとなっていく。

な~んだ、クラスの問題は単純に担任である私の問題だった。私が変わればクラスは変わる。

清濁併せ呑む(せいだくあわせのむ:心が広く、善でも悪でも分け隔てなく受け入れる。度量の大きいことのたとえ。)という言葉があるけれど、濁を知らない・受け入れられない天使の心では、子どもの心は救えないということが、最近になって、やっと理解できるようになってきました。

師匠から学ぶようになって10年も経ち、ようやく本来学びたかったことを教えてもらえるようになりました。すると、不思議と哲学の学びが生きているのです。これには驚きでした。

むしろ哲学の学びがなければ成功できないとさえ思えます。

多くの偉人から学んできた人生哲学というものは、自分自身の人生を大きく変えました。豊かな人生、幸福な人生を歩むために必要な学びでしたし、教員の仕事にも大きな成果を与えてくれました。

息がつまるような人生、閉塞感のある人生を送っていた過去が嘘のようです。

師匠から教えてもらって、私の人生は大きく変わりました。その恩は、子どものへの指導で返す。そんな思いで子ども達への指導にあたっています。

お気楽先生のほぼ毎日私感』は、2016年5月より書いているブログです。ノンフィクションの実践記録で、悩みながら苦しみながら解決を模索してきました。スマートではなく、泥臭い文章ですが読んでいただけると嬉しいです。

古い記事は、本当に恥ずかしくなるような稚拙なものばかりですが、少し乱雑になってきたので、noteに少しずつ移していこうかな?と思っています。

どうぞよろしくお願いします。









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