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202003 - 世界~新生活

3/3
白い空間に文字を書く。
白に1を足すと百になるようにはならない、あまりにも。

3/9
コーヒーの香りで部屋が数分満たされて、豆を挽いていることに気付く。
映像よりも音よりも匂いは避けられないようだし、そこに感情がない。

3/12
常識はほんとうに邪魔かもしれない、じぶんやコミュニティや地域や世代や他人具合によって、グラデーションしていることを忘れてしまうことがおおい。

差別と区別の違いは、生まれ持っていてどうしようもないことを揶揄することや、自分自身のなかで発酵させてカテゴライズにガッチリ当てはめてしまう、ステレオタイプのようなものかな。

女性を、女性らしさを万人に通じるメリットとして語ってしまって炎上してるのをみて思った。プラスの差別は、それ「らしく」ないひとを傷つけるよ。

3/16
夕方の時間が遅くなったことに気付くのは、花粉症のあとくらいかな。
薄手のヒートテックとシャツを着て、カメラを下げて出かける。

3/18
新しい土地に引っ越すと、電源 WiFi のあるオアシスなカフェを探すミッションが大切になりますね。

3/20
木蓮がすきだ、ミモザの可憐さや桜の豪華さや、金木犀のおしゃれさとも違う、そっと猛々しい木蓮がすきだ。
横浜美術館の桜色の木蓮は、その感覚を奪ってくれるくらい、可憐で豪華でおしゃれだ。

3/21
理想のだれかとじぶんをくらべると、埋めようのない劣等感になってしまうことがおおい。生まれとか、体質、性格、変化しにくいものをくらべてしまって、出口のないループにはまって時間を溶かしてしまうことあるある。

理想のじぶんと現状のじぶんに、ハングリーさを育ててもらうと、飽くない狂気のモチベーションがそこにあるとおもう。

3/23
フィクション。フィクションにこうあって欲しいと、ねだってしまうひとはなんなんだろう。どういう欲望なんだろうでしょうか。対価を払っていない期待は、あまりにも貧しいのを引き起こしてしまうともう。貧しい、相対的に貧しいのか絶対的に貧しいのか、この場合は後者だなあ。

3/24
大きな病院には大きな桜の木がある。
ふるい団地には大きな桜の木がある。

3/25
~ かもしれない、を真実としてしまうひとがいる。事実、じぶんで見て確かめたものを大切にできる余裕を持ちたいけど、だれでもいつでも叶うわけではないよね。

真実は嘘とおんなじくらい楽しめるけれど、信用ならないものだなあ。

3/28
30回目の誕生日は自粛のはじまりの日。自転車で散歩して、桜の下をとおり抜けてって、悪くないなあっておもった。シャンパンあけたら絨毯汚れた。

3/29
季節はずれとよくいうけど、この時期によく季節はずれって言うので、たぶんそういう季節なんだとおもう。去年も桜に雪がちらついていたよね。ほんとうにいい季節ですね。