百ワニに俺が不快な理由を考えた
百日後に死ぬワニが不快で、どうしても胸に刺さるので
大人ぶって無視せずに書いて恥を晒す事にする。
これは、俺の倫理的に嫌なだけで、こういうマーケティングはもちろんアリで何も文句をつける気もない。ここは、くれぐれも言っておきたい。
何で、百日後に死ぬワニが不快なのか、ずーっと考えたが、
この物語がワニが死なない事には成立しない話だからだ。
主人公が死んで終わる文芸作品なんていくらでもある。
ロミオとジュリエットもそうだ、セカチューもそうだ。
愛と死を見つめてもそうだろう。
百日後に死ぬワニも、これらに連なる話かと言えばそうだ。
だが、一方で大きく違う点もある。
多くの主人公が死ぬ文藝作品は死がゴールであるだけで
死、そのものが売りなわけではない。
闘病にしろ、悲恋にしろ、そのドラマの果てに死があるだけで
主人公が死ぬから読むという人は多くはない。
だが、百ワニは違う、四コマ漫画の最期にワニが死ぬまで
あと何日と出る。ワニが死ぬ事が物語のキモだ。
例えば百ワニに、死ぬまで後○○日と出ずに、
淡々とワニの日常が100日描かれ、何の前触れもなく
ワニが100日目に死んだら、こんなに話題になっただろうか?
もちろん、それがマーケティングだ!というのは分かる
だから手法としては否定なんかしない。
でもね、百日後に死ぬよ、ワニ死ぬよ、どんな風に死ぬかなー
という煽りで客を引くのは、俺の倫理観では下品だ。
生病老死は、いずれもドラマになる事ではあるが、
生病老死を間接的に考えるのではなく、そのものを売りにするのは、
誰がどんな風に言おうと、俺は下品だと感じる。
念を押すけど、俺個人の倫理観の問題だよ。
今日のニュースを語ります。