見出し画像

日米友好のシンボル・ポトマックの桜 8

さて、この観菊のあと、その年も押し詰まってワシントンに戻ったシッドモアさんはすぐに、近く埋め立てで出現する予定のポトマック河岸の半島に桜を植えて欲しいと、当局に提案しました。
担当者は友好的に話を聞いてくれましたが、結局追い返えされ、黙殺されてしまいました。
しかしそれでも諦めずに、向島の満開の桜の写真を持って、公共土地建物官吏責任者エルンスト陸軍大佐(Oswald Erunst)を訪れて請願しました。

出典:著者 石田三雄 発行:NPO法人近代史日本の創造史懇話会

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?