No.323 遺跡を眠りから覚ませた男
後に実業家となり、考古学者となったシュリーマン(1822年~1890年)は、北ドイツの貧しい牧師の子供として誕生しました。9人兄弟の6番目の子でした。シュリーマンが9歳で母を失い、叔父の家に預けられ、14歳で小売店見習いとして働くも、病気になって解雇され、人生最大のピンチに立つという苦い体験もしています。
その後、彼は再起を期して、オランダに渡り、アムステルダムの貿易会社に就職します。そして、努力を重ね、英語、フランス語、ロシア語を次々にマスター。その2年後、念願の独立を果たし、商売をアメリカやロシアにまで拡大し、財産を蓄えたのでした。
その間もギリシア神話に登場する伝説の都市トロイアの遺跡発掘の夢を忘れず、また、商売のためにスウェーデン語とポーランド語を学び最終目標のギリシア語もマスターしたというから、彼の衰えることのない情熱は称賛に値します。
その後、1868年(明治元年)にビジネスから引退し、莫大な財産を手に、46歳の時にトロイアの遺跡発掘に全力を傾け始めます。考古学者としてのキャリアをスタートさせたのです。識者によれば、1866年にはパリのソルボンヌ大学で1カ月ほど学び、1869年にはドイツのロストック大学で学び、トロイ遺跡に関する論文で博士号を取得したということですから、誇大妄想のいかさま師ではなく、考古学研究者としての矜持を持った遺跡発掘への歩みでした。考古学の専門家たちのシュリーマン批判・嘲笑・揶揄には、財力に物言わせての発掘に対する「やっかみ」も故なしとしなかったでしょう。それでも、彼の情熱は衰えませんでした。
1870年(明治3年)にトルコにあるトロイ遺跡の発掘を開始し、トロイ遺跡の発掘を継続しながら、ギリシャのミケーネ遺跡とティリンス遺跡の発掘を行い、いずれも大きな成果をあげました。様々な苦難の末、彼の幼い頃の直感は見事に証明されたわけです。シュリーマンは、ギリシャ近代史上最大の発見を成し遂げました。
しかし、当時の発掘に瑕疵がなかったわけではありませんでした。
①発掘技術がまだ発達していなかったこと
②シュリーマン自身の考古学の専門知識にも不足があったこと
③発掘作業の不備から遺跡全体に損傷を与えてしまったこと
等々、シュリーマンの発掘調査の在り方に批判があることも事実です。
シュリーマン没後の翌1891年に、その自叙伝『古代への情熱』が発行され、遺跡にかける思いを雄弁に語っています。
「諦めさえしなければ、人生に失敗はない」
という印象的な言葉も残しています。目標の設定と、期限を設けた実現への取り組みが必要なのは、シュリーマンに限らないでしょうが、それを眼前に示した説得力ある生き方をした人物として、感じることの多い本でした。