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記録しないカメラ

以下は「桑沢グランプリ2019」にて展示された
『記録しないカメラ』とともに展示した文章です。

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記録しないカメラ

カメラという道具があります。

目で見たものをあとで見返せるように記録する道具です。

記録したものは、共有することもできますし、保管することもできます。

もちろん補完も。

さて、この『カメラ』から「記録する機能」を取り去ったら何が起こるでしょう。

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記録しないのでフィルムもセンサーもいりません。

露光させるものがないので、シャッターも絞りもいりません。

ミラーも必要ないですね。

これで「記録しないカメラ」もミラーレスの仲間入りです。

何も記録しないのですから、何が写っているのか確認するためのファインダーも無くしてしまいましょう。

この調子でいくと玉ねぎの皮をむいていくがごとく何も残らない。なんてことになりそうですが、最後に最小にしてもっとも重要な要素である「レンズ」と「光」が残ります。

レンズは、空気とは違った屈折率を持ったガラスの塊です。

直進せんとする光を曲げ、一点に集中させます。

光については説明不要でしょう。神様も最初におねだりしたあれです。

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この文字が読めるのも光のおかげです。

あなたが小学校で頑張ったおかげでもありますが。

では、レンズと光があると何が起こるか。

例えば、壁のような平面から光が発せられている。とすると、

その平面から発せられた光のうち、レンズに当たったものは曲がります。

平面状の一つの点から発せられた光は、レンズの端に当たって曲がるものもあれば、真ん中あたりに当たるものもあります。

光の上がり具合は、場所によって異なります。

結果として、平面のレンズをはさんで向こう側、

ひかる平面と向かい合うように、平面と同じ見た目をした光の集合が出来上がります。

この光の集合は直接観測できません。進む方向がバラバラの光が、たまたま同じ場所を通っているだけです。

見るためには、何かにぶつけてやる必要があります。

先ほどファインダーを取っ払ってしまいましたが、それを拾いましょう。

正確には光を拡散させるスクリーンです。

透明な板をやすりがけしたような部品です。

スクリーンがあると先ほどの光の集合を見ることができます。

不思議なことに上下が逆さまです。よく見れば左右も逆です。

これだと、光が曲がったというより、レンズを通って180度ねじれたみたいです。

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疑問は一旦脇に置いて、手元にある「記録しないカメラ」を見てみましょう。

レンズとスクリーン、それと光。

「記録」はできませんが、「観察」ができます。

そう、

「記録しないカメラ」は「観察のための道具」です。

人間の眼は勝手にピントが合います。

長く使っていると調子が悪くなりますがなかなか優秀です。

「記録しないカメラ」では、ピントが合うかどうかは、レンズとスクリーンの距離で変わります。

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近くのものを写す時は、レンズとスクリーンを離します。遠くのものを見るときはレンズとスクリーンを近づけます。

この手間のかかる仕組みのおかげか、「記録しないカメラ」は観察に向いているようです。

そもそも、膨大な視覚情報をほんのわずかな量になるようにキリトリ、さらに距離によってはっきり見えるかどうかふるい分ける。私たちが得られる情報はほんの少しです。

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それゆえに、薄味の料理で素材の味が引き立つように、色やカタチがイキイキとして見えるのです。

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本当なら、「記録しないカメラ」片手に散歩をしていかに世界が色や形で彩られているかを実感して欲しいのです。

しかし今の私の力の及ぶところでは、2つの不完全な「記録しないカメラ」を作るので精いっぱい。

ほんの一部ですが、世界のにぎやかさ、それらを構成している「何か」の存在を嗅ぎ取ってもらえたなら幸いです。

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以上、桑沢祭2019グランプリにて展示した作品のキャプションでした。(一部改訂)


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