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母65歳、将来の夢

「将来、なにになりたい?」
「夢はなに?」
「どんな職業に就きたい?」

子供の頃、幾度となく聞かれた言葉。
でもいつ頃からだろう。大人になるとそんな質問される事は殆どなくなってしまった。

大人になってしまうと、「なりたい職業」を聞かれるのは確かに困る。
「なににでもなれた」若い日と比べて「なにかになってしまった」今では、たとえ理想とする職業があっても、なかなか言葉に出すことができない。
そこまでの道のりや可能性を無意識に計算してしまって、その途方もない道のりに絶望して勝手に「無理だ」と飲み込んでしまう。

でも「なに」が示すものは、別に職業じゃなくたっていい。
言い換えればそれは「どう」なりたいかだと思うから。
長い人生の夢とか目標を、職業という形でしか求めないのはもったいないことかもしれない。
とはいえ、「将来の夢」って言葉はちょっと気恥ずかしい。

そんな想いを持ちながら、今日は私の母の話を聞いてほしい。

つまらない、と思っていた母

私の母は、大阪生まれ大阪育ち。結婚して、私の生まれた街に暮らし始めた。
絵に描いたような大阪のおばちゃんだった母は、私の友人たちにも人気だった。「エイコちゃんのお母さん、ほんと面白いね」と、家に来たお友達は皆そういっていた。

確かに母は面白い。
だけど真面目な話や進路の相談、目には見えないスピリチュアルな話をすれば、「なに言うてるか、お母さんにはわからん」しか言わなくなる。
しょうもない日常会話にはあんなに頭の回転が早いツッコミを繰り出すのに、私が真剣な話を始めるとたちまち「なに言うてるかわからんbot」になるのだ。

そんな私は、失礼ながら「母は面白いけど、面白くない」というジャッジを下していた。
英語にすると「funny、だけどinterestingではない」という感じだろうか。
(我ながら反省している)

定年間近の挑戦

時は経ち、そんな母が50代も後半を迎えた頃。

突然「お母さんな、ケアマネの資格を取ろうと思う」と言い出した。

ケアマネとは、介護をマネージメントする公的資格。合格率は10〜20%の難関な上に、今は試験合格後も半年近くの研修が必要になる。
それまで介護福祉士として長年勤めては来たものの、もう他人が定年を考えるような歳になってまさかケアマネを挑戦するなんて、家族全員どころか職場の人だって驚いたに違いない。なぜなら母は正社員ではなく、老人保健施設に週4で勤めているパートタイムだからだ。

誤解されたくないので言うと、別にパートだからという職業差別ではなく、こういう資格は割と「所属している会社に取れと言われてor取ったら資格手当があるから」という理由で挑戦する人が多いからだ。
もしくは若い働き盛りの人がキャリアアップや転職に有利なため、とか。

対して母は定年間近のパートタイム。聞けば「もし取得したとしてもケアマネ職で働く気は無い」という。であれば資格手当も当然もらえないし、研修に行く期間も無給になる。
ケアマネ職で働く気もないのに、なぜそんな修行僧みたいな茨の道を選択するんだ…?私たちには不思議でならなかった。

だけどその答えはとてもシンプルで強い。
「学びたいと思ったから」
そう答えた母は、今まで私が知っていた母とはまるで違う目をしていた。

母はこの時、「なりたい自分」を見つけたんだと思う。
60目前にみつけた、将来の夢。

結局その年猛勉強して受験に挑んだが、残念ながら不合格。
奇跡は起きなかったか、と応援していた家族も落胆。
確かに若い人でも受かりにくい資格、定年手前の母には無理な話だったのだ。それでも母は頑張ったのだから、挑戦したこと自体が素晴らしい結果だ。

……そう収めようとしたけれど、本人は諦められずに不合格通知が届いても机にかじりついて勉強を続ける。
なんだなんだ?なんなのだ。
この人のどこに、こんな根性があったのだろう。
高校生の私が進路を語る横で「わからへん」「知らんがな」を連呼していた彼女は、もうどこにもいない。

結局母は60歳になった歳に、見事ケアマネ試験に合格した。
合格後に参加した研修では「同じ会場だと60代は私だけだった」と言う。

本当に受かってしまったその事実に私はただただ驚き、そして誇らしい気持ちになった。照れくさい言葉を使えば、尊敬している。
と同時に、学生時代「お母さんってつまんない」って思っていた自分を叱りに行きたい。

母は当初の計画通り、ケアマネを取得した今も介護福祉士として働いている。資格手当はもらえないけど、勉強したことで日々の介護の仕事に活気がついたし、衛生学など私生活でも使える知識がたくさん得られたという。
冒頭の「どんな職業になりたい」という質問だと「なにも変わっていない」となるかもしれない。
けれど自分が学びたいと思った勉強をして、得た知識を今の仕事にも生活にも生かせている母は、有意義な成果を得られたんではないかと思う。

大人になって「将来なにになりたい?」なんて質問をしてもらえなくなっても、「将来なんて、夢どころか心配しかない」と思うようになったって、
自分のやりたいことを見つけれたら「将来の夢」と胸を張っていいんじゃないか。
母を見ているとそう感じた。

余談なのですが…

60でケアマネを取った母はその後燃え尽き症候群になるのではと心配したのだが、同年生まれた初孫(私の娘)のお世話に火がついて、育児本を私より読み漁って新しい知識を入れていた。

それに収まらず、新たに「子供の教育とか支援についてちゃんと勉強したい。その延長上に保育士の資格を取りたい」という目標を持ったよう。(おっとっと…?)

家族としましてもやっと受かったケアマネ試験の直後だったので「ちょっとは落ち着かんかい!」と突っ込みましたが、一度踏んだ母のアクセルは誰にも止めることができない。

聞けば保育士資格は、9科目の試験で全て70点以上とる必要があり、机上試験の他に実技試験(ピアノや朗読、絵など選択)もあるという、これまたハードな内容。(保育系の専門学校や短大では卒業と同時に取得できるらしいのですが、さすがに通えず)

必死に勉強しても9科目の壁はなかなか難しく、何度も受けては何度も落ちる落ちる。
まるでセンター試験かのように、「この科目は1日目の1時間目だから…」などと試験対策を進める母。それでもなかなか、あと1教科が通らない。

受かってもケアマネ職には就く気ないと豪語していた前回と比べ、保育士試験が受かった暁には、その資格を生かせる仕事(放課後デイとか保育補佐とか)に転職も考えているらしい、とにかく目がマジなのだ。

そして65歳になった今年、母は念願の保育試験合格通知をもらうことができた。
あの時「ちょっとは落ち着かんかいっ!」と突っ込んだ家族さえ、その報告に手放しで喜んだ。
家族をそうさせてしまうくらい、この数年間の母の勉強は壮絶だった。
だからこそ、今日はその記念にこのnoteを書きました。

おめでとう、お母さん。

65歳、前期高齢者のスタートの年。
介護保険の値上がり通知とほぼ同時に届いた母の新しい門出が、母の「将来の夢」をさらに引き上げてくれたら嬉しい。


▼(おまけ)母からの合格ドヤLINE。この後返信が遅かったことを叱られるw

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