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背伸びして手をのばした、あの日の花束

あれは私がまだ小学4年生の時。
春の終わりに、私のクラスに教育実習のT先生がやってきた。

けして目立つタイプの先生ではなかったけれど、私たちを上から見たりせず、いつも対等な立場で話をしてくれたのが印象的だった。

T先生は「手話」が得意で、オリジナルで作ったテキストを配ってくれたり、休み時間には手話で歌う童謡を教えてくれたりした。
クラスの中では手話が爆速に流行して、みんな休み時間は覚えたての手話で自己紹介を繰り返した。
ずっとこのクラスにいてほしいと、そこにいる誰もが思っていた。

でもそんな楽しい時間はすぐに終わってしまう。
先生がやってきて二週間。もう明日が最後の赴任日になってしまった。

大人ぶりたいプレゼント

去りゆく先生を想って、こども心に「なにかしてあげたい」という気持ちが芽生える。
放課後にクラスメイト男女4人で歩いていると、誰からともなくそんな話になった。

「T先生に、私らで何かあげようよ」
「手紙とか書く?」
「え〜、手紙はクラスで寄せ書きかいたやん。そうじゃなくて、もっと大人っぽいやつ!」

先生に何かプレゼントしたい、という気持ちは、「単に生徒ではなく、大人と対等に見てくれた先生」に対しての感謝の気持ち。
それがそのまま「だからこそ、なんか大人っぽいものをあげたい!」という、なんとも子供らしい発想として燃え上がった。

「大人っぽいといえば花だと思う、花束」
「うん、花もらって嬉しいのは大人だと思う」
「確かに。私は花いらんけど大人は喜ぶと思う」

なぜか我々には「花束=子供は選ばない=なんか大人っぽい」というイメージがあり、背伸びしたい一心でプレゼントは花束に決まった。
家に帰っておこづかいを持って学校に集合、と約束して一旦家に帰った。

おこづかいの大人な使い道

学校に集まると、みんなで持ってきたおこづかいを出しあった。
私も手のひらを広げ、汗をかいた100円玉2枚を渡した。
「みんな200円ずつ!大金だ!」
集まった計800円を手にして、息を飲んだ。

当時は駄菓子屋さんで100円あれば十分楽しめた時代。
30円の麦チョコとうまい棒1本、シメに60円のブタメンを買ってお湯を入れてもらい、近くの公園で食べる。これが私たちのイケてる放課後だった。
そのくらい、100円玉は無限な存在だった。

それを、今回はなけなしの2枚持ってきた。
しかもこれでブタメンは買わない。代わりに先生にプレゼントする花を買うのだ。
私たちの「なんか大人っぽい」モードはどんどん高まっていく…

いざ戦場(花屋)へ!

私たちは学校に一番近い花屋さんに向かうことにした。
入店早々、男子の1人が大声で言った。
「先生にあげる花束をください!!!」
棋士が碁石を打つかのごとく、束ねた800円をレジ前に勢いよく置いた。

花屋さんは突然の大声と私たちの気迫に驚いたようで、
「君たちだけ?大人は?先生になぜ花束を?」などと困惑気味だった。
男子2人はなんだか気恥ずかしそうにしていたので、私ともう1人の女友達で事情を話した。

「明日、教育実習の先生が最後の日なので、お花をプレゼントしたいんです。私たちのお小遣いで買えますか?」

自信なさげに尋ねると、花屋さんは全てわかってくれたようで
「なるほど!もちろん買えますよ、800円分の花束を作りますね」
といって、花束を見繕ってくれた。

しばらくして800円の花束は出来上がり、私たちはそれを受け取った。
大きな花束だった。大きな大きな花束だった。
私は今までの人生、あんなに豪華な花束を買ったことがないと思う。
そのぐらい、立派で美しい花束だった。

花屋さんのやさしさと見透かされた背伸び

先に言ってしまうと、あの翌日T先生には確かにあの花束を渡したのだけれど、残念ながらその反応や状況なんかは全く覚えていない。
肝心な場面を覚えておらず、前日のしょうもない下りだけやたら鮮明に覚えているのだから、子供の記憶というのは残酷である。

ただ、問題はそこではない。
もう読んでいてわかると思うけど、あの時800円払って作ってもらったあの花束は、間違いなく800円分の花束ではなかった
花を一度でも買ったことがある人ならわかると思うけれど、花というものは割と高価だ。
800円で買えるのは、せいぜい手のひらサイズのプチブーケくらい。
あの見事な花束は、きっと値段にすれば5000円はする物だったと思う。

大人になって花の相場を知った時、私は当時のやりとりを思い出して恥ずかしさで穴を掘ろうかと思った。
それまで「小学生なのにお小遣いで花を贈ったかっこいい自分たちの思い出」だったものが、実は「世間知らずで背伸びして、それを花屋さんに察してもらって下駄を履かせてもらった思い出」だったのだ。
こんなに恥ずかしいことはない。
私たちの手柄、とまでも思っていたその出来事は、花屋さんの粋なやさしさのもとに成り立っていたのだと気づき、赤面してしまう。

別視点に立った今の私

だけど私も大人になったからこそわかる。
あの時の花屋さんの気持ちが。
目の前に現れたやんちゃ盛りの子供達が、去りゆく先生のためにおこづかいを持ち寄って花を買いたいと言っている。
大人に誰にも相談していないであろうハチャメチャな予算感が、また愛しい。

花屋さんからすれば、私たちの世間知らずな要望の中にも子供なりの真心を感じ取ってくれたのかもしれない。
そしてこっそりと、「800円分の花束」と称して下駄を履かせてくれた花屋さん。

あの日あの小さな花屋さんで、わたしたちはたくさんのやさしさに包まれていたことに今更ながら気がつく。

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