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「やるしかない」ことを”できる人”

難関を目指すとは

例えば、難関試験を目指すとして、試験勉強をする際に「自分の気持ちで”やっている”」と思えるかどうか(思えれば続けられる)。さらに最難関になるとその中で試験内容に対応できるようになっていたりする人も多かったりし、その状態で居続けている人の競争になる。

「勉強やれよって言わないで。自分が一番そう思ってるから泣」

ある難関資格に挑んでいる社会人経験も長くネットで発信している人が、視聴者に向かって「勉強やれよとか言わないでよ。自分が一番そう思っていて苦しいんですよー」と嘆いているのを聞いた。僕も大学受験の時にこれを何度思っただろう。(あまり周りからは言われなかったけど、自分では毎日強烈に思っていて自分を責め続けた。偏差値競争という多くの人が立ち入るものの中に足を踏み入れ、その中で自分を責め続けたことによって色々と発症し、ある意味しっかりと抜け出しても、もっと根源的な「こんな自分に近づかないでほしい」という神経症的感覚だけが残っている)

「やるしかない」という感覚により”できる”か?”できない”か?

この気持ちの構造を考えれば分かると思うけど、これって「やらされている」という感覚を「やるしかない」という感覚で吸収(打ち消すことが)できるか?否か?、という問題だろうと思う。僕が自分の性格(?)として、「やらされてる」と感じているものはほとんどできてこなかったから。。で、どのように「やるしかない」という感覚で「やさられている」という感覚を吸収・打ち消しすることを可能にするかと言えば、「やらされている」「やるしかない」とはどういうことかを考える。

「やるしかない」という圧力を感じたときに、
1.それができる人=自分の気持ちでやれている
2.できない人=「やさられている」という感覚に覆われてしまっている。

と端的に言っていいように思う。2(できない人)は、「やるしかない」という圧力が弱かったり、また、1(できていたとき)の状態を経験しているため1と2の感覚を混同してしまうことにより、何で自分が2(できない人)になってしまっているのかがわかってない状態になってしまっている。と言えよう。

「やるしかない」の源泉と、(自分なりに)何で2になってしまうのか考える

さらに、僕としては「(人間関係として)最悪(だと思える)状態」を感じないとあまりやる気になれないタイプなので、端的に「やるしかない」という感覚を引き出すためには、考えるだけで虫唾が走る・嫌悪・憎悪・気持ち悪い・家にいるときでさえそのことを思うだけでザワザワする等、そのような気持ちが出てくる人(自分?)がいることが望ましい。強いワードをいくつか書いてしまったけど、この感覚がわく対象というのは、実は以前書いた”ライバル”的関係性とも言っていいように思える。気持ちの構造的に。「やるしかない」という圧力がまずあり、そこから1の「それができる人」でいるためには、このような心の持ちようがありえるのではないか、と感じる。そして、人は”居心地が悪い”と感じれば、自然にそれを解消しようとする(慣れてしまう場合もあるかも)。僕自身振り返ってみるとそのようなことばかりだ。立ち向かったこともあれば、逃げることもある。逃げる方が多いけど。。それを自分なりの方向性を思い、日々ゲットしていく。

などと考えていた。

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