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推しの作家さんに会った、夢のような時間の話

「一時間かけてブラジャーを試着したら、黄泉の国から戦士たちが戻ってきた」

一年前に読んだnoteだ。しかもブラジャーを買いに行った話だ。

気づいたら、ファンになっていた。

岸田奈美さん。
noteを初めて一年ちょっと、会社を辞めて作家デビューし本を出したという。

これは買うしかない、ということで無事に初版をゲットし、すぐに読んだ。


泣ける文章、のように言われることもあるようだ。しかし、私はそうは思わない。

いや、たしかにボロボロ泣いた話もある。

障害を持つ家族や、小学生の頃に亡くなったお父さんとの話。多くの人は経験しないことであり、つらいこともあったはずだ。実際、お母さんが倒れ、一生歩けなくなった時にはたくさん泣いたという。「母に『死んでもいいよ』と言った日」に書かれているエピソードだ。

しかし、泣かせるための感動ストーリーが書いてあるわけではないのだ。

書かれている体験そのものに泣いてしまうことはあるが、読み終わった後に残ったのは悲しさやつらさではなく、どちらかと言うと、共感や救われたような気持ちだった。誤解を恐れず言うならば、清々しさが残ったようにさえ思えるのだ。

これは、本の帯にも書かれている。

この本を読んだら強くなれる、たぶん。
泣きながら笑う技と、怒りながら信じるコツがたっぷり書かれているからね。

阿川佐和子さんの言葉だ。


泣きながら読んでも最後は笑える。

誰もが共感できる。

障害を持つ弟に、歩けない母、幼くして亡くした父。タイトルの通り家族の話が多く書いてある。しかし、そんな目立つ部分が注目されがちだが、そのようなことに馴染みのない人でも、どこか共感できる部分があるはずなのだ。

それは人それぞれ違うと思う。
もし身近に障害を持つ人がいれば、弟さんの話かもしれない。ある人にとっては甲子園で売り子をやっていた話かもしれない。もともと嵐ファンで櫻井翔さんの話を見かけて本に読んで興味を持った、という人もいた。


これは、岸田さん自身が思ったことをそのまま書いている文章だからではないかと思う。過去に書いた文章を再編集したものの多くは、元々noteに書いていたエッセイで、日常を綴っているものが多い。

これは、実際に岸田さん自身が言っていることでもある。岸田さんが主催した、おもしろい文章を募るコンテスト「キナリ杯」の後書きを引用する。

おもしろい文章なんて書かなくてもいいんです。それは大半の人にとって、生きていくために必要がないことだからです。

(中略)

じゃあ、なんのためにおもしろい文章を書くのか。

すべては自分のためです。 わたしはたった28年間の人生で、心がバキボキに折れそうになるほど、つらい ことがありました。特に亡くなる父との最期の会話が、ひどいケンカだったこと は、これから先も、胸の奥にドス黒い染みとなってこびりつきます。思い出す度 に、心臓と肺のあたりが針で刺されたようになります。

生きていくためには、記憶を再編集するほか、なかったんです。わたしにはこれしかなかった。

(中略)

そうすれば、記憶が別の意味を持ち、わたしの中で永遠に名前をつけて保存されるわけです。

岸田奈美「キナリ杯をはじめようと思った、ほんとうのこと」(2020.6.5)
【購読者限定/無料公開部分から引用】


また、別の例も見てみる。

私にとって、傷を知る手段は、文章を書くことだった。

思い半ばで死んだ父のことを。 彼が愛し、怒り、寂しさを感じたことを。 記憶をたどり、喜びや悲しみを再解釈することで、自分との折り合いをつけていく。

岸田奈美「風はいつか雨になるし、親は子どもに傷を託す ー 村上春樹『猫を棄てる』を読んで」(2020.5.30)


家族の死別や病気。重いテーマも含まれている。しかし、この本では、それらだけが大切な文章ではない。そこに、ブラジャーの話、甲子園球場でコーヒーを打った話、、、全てが集まって一冊の本になっている。


「岸田奈美のnote」は、いまnoteにおいて最も読まれているらしい。
ソーシャルメディアで見かけて、「書く度にバズってる人」なんてイメージを持っている人も多いかもしれない。

しかし、泣ける文章を書こうとしているのではないし、バズる文章を書こうとしているのでもない。

では、なぜ読まれているのか。
なんてことはない。
思ったことをそのまま書いているだけだったのだ。たぶん。いや、多くの人が読んでいるってことはなんのことはあるんだけど。平易な言い方になってしまうけど、「飾らない文章」って言うのかな。

そこがこの本、ひいては岸田さんの文章が好きな理由だ。


この本で、一番心に残った言葉がある。

悩んでいる友人への言葉のかけ方について、

 本当につらいとき、わたしは、他人の言葉に耳を傾ける余裕がなかった。
 でも唯一、うれしかったのは、残った家族が、泣いてくれたことだった。一緒に絶望してくれ、立ち直らなくてもいいから、好きなだけ泣く時間をわたしにくれた人たちの存在が、本当にありがたかった。
(中略)
 絶望は、他人の応援の言葉で、めったになくなることはない。
だから「何とかしてあげたいけど、何をしたらいいかわからない」ならば、焦りはぐっとこらえてほしい。友人の話を聞いて、事実を受け入れる。
(中略)
 ただ、それだけでいいのだと思う。それができないのなら、無理に言葉をかけずとも、じっと待つだけでもいい。



私は、高校時代、友人と突然の別れを経験したことがある。本当にどうしていいかわからず、声の掛け方を間違っていたはずだ、とずっと引きずっていた。その時の気持ちを解決できないままだった。

なんか、そこに対する救いのような言葉のような気がした。

私の場合は、岸田さんの文章が書かれた背景とは全く違う。しかし、この本は、家族との環境が特殊だから本になるエピソードがあるのではなく、ただ愛する家族の話を思うままに書いている。それが結果的におもしろい文章という形になっただけなのだ。

あぁ、私が欲しかった答えってこれだったのかなぁ。そう思った瞬間、少しだけ肩の力が抜けていった。

ここで、ちょっと話は飛ぶが、

作者の岸田さん、話もめちゃくちゃ上手い。というか、文章そのままだ。イベントのライブ配信とかを見ていても、ポンポンと出てくるおもしろワード。まさに文章と同じ話し方だった。え?noteの中から出てきたキャラ?みたいな感じなのだ。

私は一度だけお会いしたことがある。本の出版記念のサイン会に伺った際に握手していただいたぐらいなので、それほど長く話したわけではないが。

え?夢?私死ぬのか?って感じだった。

というのは、嬉しいのもあったけど、
文章から想像してた雰囲気そのままだったから。いや、少し話しただけだけど、そう思った。

これぞ、まさに、岸田さんの文章の持つ力そのものだった。

緊張の中で会場を後にして思ったのは、
あぁ、奈美さん、キラキラしてたなぁ…本当に行って良かった。また明日から頑張ろうかな。

なんだかしばらく夢の中にいたような、不思議な気持ちだった。もちろんサインは嬉しいけど、それ以上に、あの時、あの同じ場所にいたこと。それを、心と体のどこかに焼き付けておきたかった。

人のことを勝手に、キラキラしてたなんて言ったら怒られるかもしれないけど。あの時の奈美さんは輝いていた。手を握ったとき、優しさが溢れていた。誰がなんと言おうとあの時間は私には輝いて見えた。

きっとつらいこともあると思う。名前が売れるほど、傷つくことも増えるはずだ。実際、noteに購読者限定の記事で、日常の悩みをそのまま書いてくれることもある。

自分が傷つかないための場所、悩んだらふらっと帰れる家のような場所。その一つが、岸田さんにとっては愛してくれる読者だという。

しかし、そんな文章たちは、私にとっても安心できる場所だ。たぶん、この本を読んでいる多くの人にとっても。


この本を読めば、あの時、あの場所に引き戻してくれる。つらいことがあっても、また明日から頑張れる。そんな力をもらえる本だ。



こんな優しい本に出会えて、私もうれしい。

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19歳。気の向くままに書きます。