異種族レビュアーズの多様性は「正しさ」ではなく「面白さ」

いや勿論正しさもあるのだけれど。(タイトル釣り)


異種族レビュアーズ、アニメ放送開始しましたね。

私は原作漫画版、さらに言えばその元ネタとなる画像ネタの頃から大好きなコンテンツだったので、放送に乗じて前々から暖めていた(感想書くのをサボってた)個人的に思う「この異種族レビュアーズという作品の面白さ」を抽出して書いたら割とバズってホクホクしていました。

しかし同時に、検索掛けていると結構見かける言説として、

「異種族レビュアーズは多様性どうこうじゃなくて、単に性癖の作品」

というのがありまして。

確かに私も何でもなんでもポリコレ視点で見ることは好かないし、天原先生が規格外の性癖モンスターであることは紛れもなく同意なんですけど(全身全霊で褒めてます)

ただ「異種族レビュアーズと多様性」って切っても切れない関係にはあると思うんですよね。


まずは異種族レビュアーズ原作、さらにその原典となったこちらを見ていただきたい。


やはり素直に面白いと思う。(面白いと思わなかった人は多分この記事を見る意味あんまり無いです)

さて、それを踏まえて「この作品は何が面白かったのか」を言語化できるでしょうか。



私はこの面白さは「各嬢の生態に対する、レビュアー各々の価値観、そのギャップ」にあると思います。

無論、性癖視点で見た魔物娘の萌え要素散りばめられた小ネタの数々など色んな面白さポイントはありますが、やはり骨子になっているのはそこなんじゃないかなあと。

人間視点で大絶賛な娘がエルフ視点だとボロクソ言われてたり、人間視点では微妙な娘でもエルフ視点では魅力的に映っていたり。

その評価基準も各々分かれ、外見か年齢かに始まり、匂いや肌触り、礼節だったり、あるいは可愛ければ何でもよかったり……

このギャップ。これってまさしく「多様性」なわけですよ。


話を原作に戻して、読者は9割人間だと思うので大体の場合はスタンクにある程度近い価値観を持っていると前提しますが、そうなるとゼルたちの価値観は異様なものに見えるわけですね。

でも、その「違い」はいつも面白いものとして映るし、実際そう描かれてると思うんですよ。スタンクはゼルたちの価値観を理解しきれない。でもそれでいいし、それが面白い。

また嬢の側にしても、自身を取り繕わなくてもどうせ何処かの誰かが気に入ってくれるからと、のんきに構える。自己肯定的であると同時に、前述の世界観と併せて成る程なぁと面白く感じるポイントでもある。

「異なった価値観を受け入れよう」とか、そういうテーマが主題という訳ではなくて。(無論、そういったメッセージ性を見出すことも十分出来るけれども)

「多様性はそれだけで面白い」という、とても前向きな捉え方で描かれていて、そのスタンスにこそ私は感銘を受けたという話なわけです。



今現在の社会で、多様性というものは「正しさ」の文脈で用いられることが多いと思います。実際多様性が正しいことは、「正しく用いられる分には」私も疑うべくは無い。

ただこの「正しさ」に囚われて、多様性本来の在り方を忘れて振り回された結果として多様性が失われるようなケースは割とある。


しかしまた、「多様性の正しさ」にゲンナリして多様性そのものを忌避してしまうのも、また一種の「囚われ」だと思うのです。それは本来とても良いものなので。気持ちは分かりますけどね。

棒として振り回される多様性にはノーを突き付けつつも、肯定的に描かれた多様性というものには逆張りせずしっかり受け入れていってもいいでしょう。


「多様性の面白さ」という概念を今一度見つめ直そう。

そしてその意味で、「異種族レビュアーズは多様性を肯定している」と思うわけであります。





ちなみに私はデリーちゃんが好きです。次点でデミアさんとデスアビス様とケンタウロスの子。

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