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1995年 幣立神宮の再開

「高天原の乱」以来、数千年の歳月を経て
1995年に再開され5年に一度、
世界の各地から肌の色の異なる人々が参加されるのが 、

「五色人(五色神祭)」である。

その最初の「五色人祭」に参加した一人に
オーストラリアのタスマニア大学講師であり
世界的なヒーラーとしても活躍されている
“ジュディス・カーペンター女史”がいる。

彼女は子供の時に「五色人面」と「五色人祭」を思わせる夢を見せられている。

その後、高名なヒーラーとして知られるようになった彼女はある聖石を奉納すべき場所を探していた時に

「幣立神宮」の存在を知り、

それこそが子供の時にビジョンを見たセレモニー地でことを確信する。

カーペンター女史はその経緯を次のように語っている。
「私が10歳の時でした。いろんなお面がたくさん出てくるビジョン(赤黄黒白青)と様々でした。そしてそのビジョンによると、そのお面は世界各地から、あるところに集まってセレモニーをするだろうというものだったのです。
そして、私はそのあるところ、すなわち
「幣立神宮」との出会いがあったのです。

そして「幣立神宮」を訪れた彼女は日本語を解さないにもかかわらず、日本語で様々なメッセージを受け取っている。カーペンター女子の「幣立神宮」に対する思いは以下の引用文に現れているといえよう。

「古くから、このお宮を自分たちのお宮として、真摯にひっそりと守ってきた方たちが、幣立神宮がこのように再び脚光を浴びるようになって、どんなふうに感じられるかは、想像するに余りあります。幣立神宮は何世紀もの間、隠されてきました。

でも、世界は今、危機に瀕してます。世界が生き残るために残されたたったひとつの道は、
今まで隠されてきた秘密の扉を開いて、
再び世界に表すことだと言うことを幣立神宮ご自身はご存知だったのです。

ちなみに、この幣立とは、
ホピ・インディアンの言葉で【扉を開ける】という意味があるのです。
幣立神宮を大切に守ってこられた皆様の気持ちはよくわかります。」

また、ジュディス・カーペンター女史は
幣立神宮を訪ね本殿で参拝している時、
水の湧き出る小さな泉を囲んで、
いろいろな国の人が輪になっているビジョンの見せられた。

しかし、その時はそれがどこなのかわからなかったが、後で【東御手洗】の地に立った時、
こここそがそのビジョンに出てきた池であることを悟ったという。

幣立神宮には樹齢15,000年のと伝えられるヒノキの巨樹そびえています。ここに、天孫が降臨され神霊がお留りになりました。

幣立神宮で発見された「御神体の鑑」といわれる石版には神代文字が刻まれていました。

その「鑑石」には表に豊国文字で

「アソヒノオホカミ」とあり、

裏面には「ひふみ祝詞」が 阿比留草文字で書かれていたのです。

この神宮は「かくれ宮」と比喩される人里離れた場所の小さな社で、日本ではほとんど知られていませんが、

日本よりも海外で知名度の高い神宮です。

海外といっても、

いわゆる原住民といわれる人たちに

伝承されている不思議なスポット、

それが「幣立神宮」です。

ほとんど知られていない神宮なのですが、
世界の原住民族の人たちが極東の日本、
しかも日本人でさえ躊躇するほどの辺鄙な場所にやってくるのですからこれって不思議ではありませんか?

高千穂の人々が「龍族」の本拠地跡に社を建て、「龍族」を神として祀ったのが日本最古「幣立神宮」の起源で、「幣立神宮」の本来の神とは

「地球文明創出の神」つまり「龍族」という宇宙人です。

この「幣立神宮」ですが、高千穂と阿蘇の中間山岳の奥地にあり、日本では有名ではありません。

むしろ海外の人たちに有名な神社です。
特に「五色人の面」が残されている希代の神社といえます。

この神社の祭事ですが、5年に一度だけ、
それぞれの地球民族の代表が「幣立神宮」に集い、和合して世界平和を祈る「五色神祭」という神事があります。

次回は2020年ですが、直近では2015年8月23日に開催されました。その時参加したのは、
宮家からは伏見宮殿下
安倍総理の妻(あきえさん)
フランスの名門出画家マーク・エステルさん、ムガール帝国の末裔のムガールさん
アメリカ、アパッチ族アイアン・イーグル
オーストラリアからジュディス・カーペンター日本から松下政経塾、元塾頭上甲晃さん
という面々でした。

このように、黄色人種、褐色人種、黒色人種、白色人種、青色人種の代表として、
世界から一名が選ばれて参列するという、
超グローバルな神事です。

現代風に申せば、15,000年前から世界の代表が集う「サミット会議」が行われており、その会場が「幣立神宮」だったのです。

サミット会場での言語は各国で相違し
ハイブリットたちが通訳を行っていました。

使用された文字は共通で、それが現代でも知られている神代文字です。

特に、最初に「純粋 青森ハイブリッド」たちが指導に向かったシュメールの地にも正確に同じ文字が残されています。

世界の人種代表者たちを

宇宙船でこの地に運び、

会議や研修を行ったのですから、
「幣立神宮」は世界最古の神社でもあるのです

約16,000年前、北斗七星に属する恒星の一惑星からの訪問者がありました。

「龍族」というヒューマンタイプの宇宙人の来訪です。

この出土品が青森海岸民族の人たちが「龍族宇宙人」を見たままに描写したものです。

「龍族宇宙人」が簡易対重力装置を装着している姿です。地球の重力は彼らには相当厳しいのか、休息している姿を造形したものでしょう。

「龍族」の宇宙服や装置が見事に描写されています。宇宙スーツや手袋、 ブーツもはっきり確認できる出土品で平成9年に青森県八戸市風張1遺跡より発見、平成21年に「合掌土偶」として国宝指定されています。↓

さて、話を元に戻すします。「龍族宇宙船」には重力制御装置が装備されていました。もちろんレーザー装置もあり、石を切り出し、青森の海岸に本拠地を建設しました。

彼ら「龍族」に従順な従業員たちで満たされて行きましたが、

その中から特に優秀な

「青森ハイブリット」が生まれていったのです。

そこで青森で改良したハイブリットによる地球の統治を開始しました。

約16,000年前、金星経由で地球に飛来した
「龍族」が、青森に素質のある大集落を発見。

海岸に建設した石城で自分たちと人間のハイブリット実験を開始しました。

やがてハイブリットである「龍族」のDNAを持つ人間が誕生します。

その間も「ヤンガードリアス期」いわれる
「地球温暖化」による海面上昇が続きました。

やがて水没が避けられなくなり、居住に適したエネルギー豊かな土地を探すことになります。

青森集落の人たち、その大部分は船で日本中に散らばっていくのですが、
一部の優秀なハイブリッドたちは龍族宇宙船で

中部日本、皆神山、位山付近や
九州の高千穂周辺に移住したのです。

当時の阿蘇ですが、景観が現在とは大きく相違しており、外輪山の内側は大カルデラ湖でした。

「龍族」や「ハイブリットたち」は
この高千穂地方をベース基地として、地球要所に

「航行エネルギー補給装置」としての 「ピラミッドを建設」をしていったのです。龍族宇宙船ににとっての、今でいうガソリンスタンド的な施設だったのです。

「龍族宇宙人」によるDNA操作で生まれたハイブリットですが、

その優秀な16名が「シュメール」に派遣され、

「エンキ」「エンリル」などと呼ばれる、「神々」の一員になっていきます。

他のハイブリットたちも世界に散りばり、
各地の指導者となっていきました。

「龍族」が育成したハイブリットたちは彼らの直接指揮下にある部下たちであり、一般従業員の管理者でした。

派遣だけではなく、地球各国の王を集めた現在でいうサミット会議も日本で行われました。

「幣立神宮」に残された「五色人面」は、その各国の代表者を記録したものです。

この頃の地球は「海面上昇」「津波」によって地球人口は極端に少なくなっており、「約300万人」程度に減少、大都市でも人口は「1万人未満」となっています。

青森ハイブリッドたちが使用していた文字

「神代文字」が世界共通の文字となっていました。

前述しましたが、「幣立神宮」で発見された
御神体の「鑑」言われる石版には神代文字が刻まれています。

その「鑑石」には、
表に豊国文字で「アソヒノオホカミ」とあり、

裏面には「ひふみ祝詞」が阿比留草文字で書かれていたのです。

↑幣立神宮の神宝

「龍族」の宇宙船には重力制御装置があるのですが、実際の採石作業を地球人にやるするために、その監督・指揮官としての人材育成に力を注いでいたのです。

このため多くの管理・監督の役目を担う人間が必要となり、DNAを操作したハイブリット人間を創り出したのです。

ただ、巨石の運搬には人間の力では不可能で、彼らの宇宙船が使用されました。

地球各地でピラミッドを建設、宇宙船航行エネルギーを確保しながら地球の“資源探査”を行っていました。

その採取作業にも大量の人間作業員が必要となり、世界各地に管理・監督者を派遣することになります。

やがて現在のメソポタミア付近で優秀な人間の大集落を発見し、その教育や指導のために選ばれた優秀な「青森ハイブリット」たちが先方として送り込まれ、

そのハイブリットたちによって 「シュメール文明」が築かれたのです

「龍族」が統治していた地球でしたが、やがて他の惑星から好戦的で、強力な武器を持った、

「蛇族」が飛来し、「竜族」が建設した最も巨大なピラミッドが占領されたのです。

↑イメージ

新参の強欲な「蛇族」は、現在のエジプトのカイロ付近をベース基地としました。

「蛇族」に追い出される形で、「龍族」は金星経由で本国惑星に帰還することとなります。

「シュメール」から発信した「龍族ハイブリット」による、世界各地の古代文明建設と世界統治でしたが、「蛇族」による侵略、破壊、捏造、によって、古代文明のほとんどは、滅亡しました。

そんな中で、唯一、古代文明の生き残り民族がいました。

それは、中国大陸で生き延びた

「青森ハイブリットたち」でした。

その末裔は後に、「越」と言う国を築きます。

有名な「越王 勾践」とは、青森海洋民族末裔であり、つまりは、日本人だったのです。

しかしながら、「呉」という「漢民族」の大国に滅ぼされることになります。

「蛇族思想」とはユダヤ思想であり、旧約聖書をベースとした西洋思想として定着していきます。

やがて「蛇族の思想」は東方にも一部が広り、それがユダヤ思想の
別名「ジュイッシュ教」となります。

「ジュイッシュ教」を漢字にしたのが「儒教」です。

つまり、漢民族中国思想とは、実はユダヤ思想であり、「蛇族思想」なのです。

蛇族が支配するエジプトを中心に、さらに西方へと「蛇族の思想」は広まっていきました。

しかし、優秀な「青森ハイブリットたち」が築いた「シュメール文明の思想」は、東方に広がり、禅、仏教思想としてインドに伝わり、やがて日本に帰ってきます。

秦の始皇帝は「シュメールハイブリット」の末裔で、優秀な血統を引き継ぐハイブリット末裔たちを多く引き連れていました。

しかし、秦の始皇帝一族もまた、やがて蛇族の思想を持つ漢民族により滅ぼされることとなるのです。

さて、ここでもう一つ「幣立神宮」の秘密をお話ししましょう。

この神宮の秘密ですが、社伝によれば

『神武天皇の孫である「建磐龍命」が、
阿蘇に下向した際この地で休息し、
眺めがとても良い場所であると幣帛を立て
天神地祇を祀った。』と

なっていますが、これは後の大和朝廷向けの
「偽装社伝」です。

なぜ、「隠れ宮」となったのか?

なぜ、神漏岐命(かむろぎのみこと)、
神漏美命(かみむろみのみこと)が

「古事記」「日本書紀」に記載されていないのか?

その真相とは・・・

西暦720年に「日本書紀」、
728年には「古事記」が編纂されました。

これが完成すると、大和朝廷による焚書の嵐が起きたのです。

神代文字で書かれていた貴重な「過去の文献」

**「全国の石碑」「社殿」「記録」など、すべてを灰しん(かいしん)としました。 **

唯一まともな姿で残ったのが幣立神宮の石碑でした。

この神社は阿蘇の辺鄙な場所にあり、それにより何を逃れたのです。

しかし、ただの偶然ではないでしょう。そこには、神の導きがあったはずです。

そして、唯一生き残った古代神社を利用して、富士山麓、甲府盆地の「宝物」を避難させ保管場所としたのです。

天孫降臨の後に、神武が初代天皇となったと定めた以上、

その遥か遠い過去に、優秀な王族や優れた文明の存在などは、あってはならないこと。

大和朝廷を正当化するために、歴史を抹殺する必要があったのです。

つまり、この事実は、 『大和朝廷が 不当な朝廷』であったということを物語っているのです。


出典 YouTube
「驚愕 幣立神宮の神秘〜五色人外伝〜」
(萩原光輝チャンネル)








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