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「大声」で「マイノリティ」するサカナクション


こんなに、ある分野の学者を立ち止まらせるような言葉を、サラリと言うバンドはなかなかいないんじゃないか、とよく思っている。


サカナクション



サカナクションの、「深海*」までは泳ぎ尽くせていないものの、「浅瀬*」「中層*」については泳ぎ回っている程度の執筆者の、

ささやかな語りに付き合って頂ければ、幸いである。

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Mステで披露された『モス』

2019年8月23日、Mステ。その日はサカナクションが出演する日で、当時「ルパンの娘」というドラマの主題歌にもなっていた『モス』という曲を披露する日であった。


『モス』のMVを見ると分かるように、曲のイントロはかなり『新宝島』などのように派手な感じだが、(ルパンの娘にはそれがとても合っていて個人的には良かった)MVの構成はかなりシンプルである。


「サビで"マイノリティ”って言いまくる感じだから、わりとシンプルめな演出なのかも・・・」

と勝手に思っていた。


が、実際には全然違った。

山口一郎(Vo.&G)がDJ台で歌い、クラブのノリでたくさんのパリピたちが

「マイノリティー マイノリティー」

と身体を揺らしながら叫んでいた。パリピが叫んでいた。


もし、次のライブで、この『モス』が披露されたら間違いなくその場にいる何万人もの人が『マイノリティー』と叫ぶだろうし、私も叫ぶだろう。


なんだかそれは、平坦に言ってしまえば「不思議」な感じだ。


「マイノリティ」という言葉の”腫れ物”感


そもそも、「マイノリティ」という言葉は、数的な意味では「少数派」、「マジョリティ」=「多数派」が対義語としてある。

しかし、そこに少し政治的な意味が加わって、「社会的少数者」の意として使われたり、あるいは「弱者」の意として使われたりもする。



そして、

「マイノリティー マイノリティー」

と叫びまくるこの『モス』という曲は、もともとそのまま「マイノリティ」というタイトル案があったという。ただ、「マイノリティ」という言葉は、”センシティブ”な面があるために、タイトル名が『モス』になった。

この曲には、もともと「マイノリティ」という仮タイトルが付いていたんです。歌詞の中にも「マイノリティ」って言葉が出てくるんですけど、結構この言葉ってセンシティブじゃないですか。


山口一郎のこの発言は、なんだか今の風潮や「マイノリティ化される」構造のようなものを少し物語っているように感じた。


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「マイノリティ」という言葉を、ここ2年くらいでよく耳にするようになったような気がする。


自分が大学に入って、耳に入りやすくなったのもあるし、「多様性」という言葉とセットで使われることもしばしば。


山口一郎がラジオで語ったように、「性的マイノリティや民族的マイノリティ」みたいな、~に関してはマイノリティ、というような使われ方をする。


大学でジェンダーの授業を受けていた時、先生が言っていた。


「日本では、"特殊なもの”には名前をつけたがる


"異性愛"はそんなに言わないのに、"同性愛"とはよく言う」


「理解できない」「特殊なもの」は、正体がわかるように、名前を付ける。

そうしたら、「よくわからないもの」を、その名前に分類していって、「カテゴリー」にする。

ジェンダーに関わる事だけでなく、そういった、「カテゴリー化」は色々な場面で起こっている。


「~マイノリティ」も、その「カテゴリー」の1つだと思う。


そのカテゴリーに分類された人たちが、差別的な目で見られた時代もあれば、”差別”はされないけれど、”特別”な目で見られる・・・。

「○○さんは~マイノリティだから、助けなきゃ」

「**さんは~~だから、この仕事をして」


この「カテゴリー」が、その人をどんどん「マイノリティ」にしていく。

"特別”も、言葉を換えたら「腫れ物」「センシティブ」

なんだか触れてはいけない内容として見られてしまう。触れてはいけない内容について、当事者も声をあげづらくなる、そんな構造。


サカナクションの「マイノリティ」

ラジオの中で、「マイノリティ」という言葉はセンシティブな面がある、と言っていたが、楽曲では叫びまくる山口一郎。


『モス』という楽曲について、先ほどのラジオでこのように述べていた。


僕が言いたかったのは、みんなが好きと言うものを好きと言いたくない……自分の中に本当に好きなものがあるっていう、それを選ぶっていう性質のマイノリティだったんだけど。



比べても 負けるとわかってたんだ 
繭割って蛾になる マイノリティ 
揺れてる心ずっと 三つの目

(モス/サカナクション)

みんなが好きなもの=「蝶」、そうでないものとしての「蛾」=「モス」

歌詞の中で、「自分の好きなもの」は揺れたり、負けそうになったりするけれど、それでも選び取っていくぜ!という感じがする。


この曲で「マイノリティ」は「センシティブ」や「腫れ物」といった雰囲気よりも、「自分が選び取っていきたいもの」。だから「大声」で主張する。


これがサカナ流の「マイノリティ」するということなのだろうか。


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カラオケで「『バッハの旋律を夜に聴いたせいです。』」を歌って友達に「は?」という顔をされた中学時代、

邦ロック好きの友達に「サカナクションはもう古い」と言われてショックだった高校時代、

少しだけ離れていて、でも大学生になってからもう一回聴いたら良くて、当時さほど話したことのなかったバイト仲間を連れて初めて行ったフェス、そこで初めて見た「サカナクション」


あの時の感動は忘れない。私は自分の「マイノリティ」を選んできて、本当によかったと思う。

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参考文献

好井裕明(2016)「『あたりまえ』を疑う社会学 質的調査のセンス」光文社

*「浅瀬」「中層」「深海」とは、2018年に発売されたサカナクションのベストアルバム「魚図鑑」における曲の分類の意である。浅いほどメジャーな曲、深いほどいわゆる"沼"の曲である。



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