お金って何だろう?目からうろこ奇跡の経済教室から紹介

お金って何だろう?目からうろこ奇跡の経済教室から紹介

タイガ ー政治とか読書とかお酒とか好きな人ー

皆さん少し前の銀行のあるコマーシャルを覚えているだろうか。キャッシュレス決済の普及を目的としたCMであり、小栗旬が出演していたということもあって記憶に残っている人もいるはずだ。このCMでは最後にある疑問を投げかけている。それは「お金って何だろう?」という疑問だ。この質問を投げかけられる時、皆さんはどのように思っただろうか。明確な回答が自分の中から生まれましたか?

私はこのCMを見る前から「お金って何だろう?」という疑問を自分の内に蓄えていた。

私はお金の本質を考えるうえでお金がどうして生まれたのかという起源を探ることが助けになると思い、お金は物々交換の不便さを解消するために生まれたのではないかと考えた。物々交換は腐ったバナナと新鮮な魚を交換することはできないように交換する物と物とが同等の価値を持つものでなければ成立せず、同価値の物をあてがわなければならない。これは瑕疵がある物は瑕疵がある物としか交換できないことや性質の違う物同士の価値を計るのが難しいという不便さがあるので、物々交換は交換できる機会を減らしてしまう。そこで長い時間価値が保障されて、耐久性があり持ち運びに便利な金や銀を交換の手段とし誰もが納得できる物の価値基準を設け価値を計り交換の機会を増やしたのだ。これは皆さんも思いつく一般論と呼べるようなものだろう。

しかし私や皆さんが考えているこのようなお金の理解が間違っていると指摘した本を最近読んだ。その本とは中野剛志氏が著した「目から鱗が落ちる、奇跡の経済教室基礎知識編」という著作だ。このコラムは標榜通り目からうろこが落ちる経済の知識が盛り込まれたこの本の一部を紹介したい。

まずはこの本の著者中野剛志氏について紹介したい。東京大学教養学部入学後保守的な評論家として知られる西部邁に師事。卒業後は今の経産省に入省し一度は離れたが、今は経産省に復帰し手腕を振るっている。TPPなどの自由貿易は国の内需を減らし国際競争力を下げると考えグローバルな成長戦略には否定的な論者である。

ではなぜ私たちが一般的に考えるお金の理解が間違っているのだろうか。お金には二つの説がある。お金は貴金属のような有価物に裏付けられているという「商品貨幣論」とお金は負債の一形式であるという「信用貨幣論」だ。

前者の商品貨幣論は先ほどのお金の理解に沿う理論だというのがわかるだろう。しかし、現代資本主義社会は貨幣の供給量が金の量に制約される金本位制ではなく、自由に貨幣を供給することができる。このような貨幣を不換通貨と呼び、今日本で使われている福沢諭吉の一万円札は金や銀などの有価物に裏付けされていないので商品貨幣論は説明できない。ではお金とは負債の一形式であるという信用貨幣論とはどのようなものなのか。この理論は金融の始まりともいえる国、イングランドでも受け入れられており筆者はロビンソン・クルーソーのたとえを引用している。

ロビンソン・クルーソーが春に野イチゴを収穫してフライデーに渡す。その代わりにフライデーは秋に魚を渡す約束をしたとする。この場合春の時点でクルーソーはフライデーが秋に魚をもらえると信用して野イチゴを渡すので「信用」と反対にフライデーはクルーソーに対する「負債」が発生する。そしてフライデーが秋に魚を渡した時点で負債は消滅する。この約束で重要なのが二人の取引が同時に行われるのではなく、春と秋異なる時期で行われるということだ。このように時期がずれた取引の場合取引には「信用」と「負債」が発生する。さらにここから話が広がる。フライデーがクルーソーに対して「フライデーが秋に魚を渡す」という旨を記した負債証書を渡した。そのあと火打石を持ったサンデーという人物が現れ、クルーソーはサンデーの持つ火打石が欲しくなりフライデーからもらった負債証書と火打石を交換する。今度はマンデーという干し肉を持った人物が現れ、サンデーはマンデーが持つ干し肉が欲しくなりクルーソーからもらった借用証書と干し肉を交換する。最終的にフライデーはマンデーに対し秋に魚を渡すという負債を負ったことになる。

皆さん分かっただろうか。

フライデーの負債を受け取れる権利を証明するこの負債証書は四人の間ではお金として機能しているのだ。証書がお金として機能するうえで必要なのは負債証書には誰に対する債務かではなく誰の債務かしか記されていないため誰であれ証書を持っていれば債務を回収できる点。そして証書を持っていれば確実に債務を回収できるという信用がなければならない点であり、これが信用貨幣論と呼ばれている理由だ。

しかし、実際の社会は無数の主体同士が取引を行うため、あらゆる場所で多種多様な信用と負債の関係が発生する。そこで二者間と別の二者間の取引で発生した負債同士を比較し決済できるように負債の大きさを計算する共通の表示単位が必要になる。この単位こそが円とかドルと呼ばれるものだ。これが「お金は負債の特殊な形式である」という信用貨幣論である。つまり一万円札は一万円という価値の負債を回収できる証書なのだ。

お金の成り立ちを考えるうえで現在は商品貨幣論よりも信用貨幣論のほうが正しいと考えられている。理由は歴史学者や人類学者が未開社会で物々交換の基軸としてお金が生まれたという事実をどこにも見つけられなかったことにある。商品貨幣論としてのお金が生まれる以前のメソポタミアや古代エジプトではすでに信用と負債の関係が存在し、お金が生まれているということを示す証拠があるそうだ。

さて奇跡の経済教室に書かれていたお金の実態を解説したがいかがだっただろうか。私は初めて信用貨幣論を知ったので目からうろこであった。

この後筆者は信用貨幣論を前提に話を進め、銀行の驚くような話や財政、金融政策の合理的なやり方、日本政府がいかに非合理的な経済政策を行っているかを力説している。私はまだ読んでいないが基礎知識編だけではなく応用編も出版されているので併せて読んでもいいかもしれない。

私が最後に伝えたいのはこの本だけ読んでこの本が全て正しいとは思わないでほしいということだ。確かに中野剛志氏は尊敬に値する経済評論家であるが、最初に述べた通り彼が保守的な論者であることを忘れてはならない。加えて彼とは反対色の色眼鏡を持った経済学者の本を読みどちらが自分にとって腑に落ちるか、正しいと思えるかを吟味しなければならない。そのような過程を踏まえたうえで初めて物事に関する知識をひけらかしたり、論として展開できる資格を得たと私は考える。

polimos管理人 テル

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タイガ ー政治とか読書とかお酒とか好きな人ー
歴史が好きすぎて政治も好きになった人。読書とお酒も好き。緩い政治研究者。日々勉強。いろいろ失敗もするけど、続けることが大事だと思ってる。今は自由にお酒飲みたいのと、旅行に行きたい。政治に興味を持ってくれたら嬉しいです。 座右の銘は「須らく成るべくして成る」です。