『「茶」の病い』 柳宗悦より

「茶」は美しさの境地にあり、また「茶」でいよいよ美しさが分るようになるはずなのに、逆にそれがために美しさを見る眼の自由を失う人がいる。なぜそうなるかの簡単な理由は、見方を「茶」で縛るからに外ならない。真の「茶」は見方の解放であるべきだが、「茶」に婬すると「茶」に囚えられてしまい、あがきがとれず、極めて不自由になるのである。…それ故、茶に婬した人は、むしろ「茶」に叛く者、「茶」を浅く受取る者、と呼んでよい。「茶」以外に出られぬ「茶」、「茶」を「茶」に縛る「茶」、そんな「茶」は「茶」ではあるまい。

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#散りばめられたメモ

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