82歳母の作文
母はわたしのブログの一番の読者である。
ブログを始めたものの、知り合いに告知することができない。むしろ知ってる人のほうが恥ずかしくて言えないまま今に至る。それがどういうわけか離れて暮らす母にだけは読んでもらっている。
小さい頃、母に日記をたいそうほめられて、その日記をずっと大事にとっておいてくれていた。それがわたしの数少ない自信になっているのかもしれない。
母は、厳しくほめてくれない祖母を反面教師に、よくほめてくれた。子どもはほめるといいというけれど、それほどでもないことまでむやみにほめられると「なんだ親ばかか」とかえって興ざめしたものだ。ところが作文だけは、ほめてもらってうれしかったことをよく覚えている。母にブログを知らせたのは、そのときの名残かもしれない。
お互い電話し合うことも減って、いつの頃からか、ブログが母への近況報告になった。
そのうち母は気づいたことをブログのコメントに寄せてくれるようになった。メールよりかんたんでいいらしい。
父の介護で忙しかった母がひとりになって、最近は祖母のことや子どもの頃のことを思い出して書いてくれるようになった。
母は1940年、昭和15年、日本が激動した戦争時代に生まれた。祖父は母が子どもの頃に亡くなって、母は母子家庭だった。祖母とは実家でずっと同居していたのでよく知っているつもりだったが、倹約家で口数が少なく、当時の苦労はほとんど聞いたことがなかった。母は母でそんな祖母に逆らえず、ずっといい子で祖母の言いなりだったという。
母が思い出して書いた作文は、ほとんどがはじめて聞く話でおもしろい。こんなことなら祖母や母の話をもっとちゃんと聞いておけばよかった。今になって思うけれど、若い頃は自分のことで精いっぱい。おとなの昔話など聞く耳を持たなかったのだから仕方ない。
世の中に翻弄されながら懸命に生きてきた祖母や母を、この年になってようやく自分と重ね合わせられるようになって、母からの作文を心待ちにしている。
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