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一年で二回転職しました

note初投稿です。タイトル通りこの一年に二回転職し4社目となりました。社会人四年目で4社目となったので、これまでの人生と転職遍歴を振り返り、これからの抱負などを書いていきたいと思います。過去の職場に迷惑のかからぬよう、省略する箇所はあるかもしれませんが、誇張はせずに出来るだけ等身大で書いていきます。

学歴と職歴

私のことをご存知でない方も多いと思うので学歴・職歴や簡単なプロフィールを書いておきます

氏名:岡村 慎太郎
生年月日:1989年3月19日

学歴:
2007年3月 兵庫県立長田高等学校 卒業
2010年4月 香川大学医学部医学科 入学
2015年3月 香川大学医学部医学科 中退
2019年4月 サイバー大学IT総合学部 2年次編入学

職歴:
2015年4月 株式会社エンライズコーポレーション 入社
2016年10月 株式会社エンライズコーポレーション 退社
2016年11月 Sansan株式会社 入社
2018年7月 Sansan株式会社 退社
2018年8月 アソビュー株式会社 入社
2019年1月 アソビュー株式会社 退社
2019年2月 株式会社スタディスト 入社

二度の転職サマリ

直近二度の転職のタイミングは以下の通りです。

一度目: 2018年8月1日 Sansan株式会社(情シス)→アソビュー株式会社(SRE)
二度目: 2019年2月1日 アソビュー株式会社(SRE)→株式会社スタディスト(情シス)

簡単な自己紹介と略歴

二回の転職に触れる前に軽く略歴から。

私は現在29歳で、次の3月で30歳になります。出身は兵庫県神戸市で公立の中学、高校に通っていました。
ここからが少し特殊かもしれませんが、私は高校卒業後3年間浪人し、国立香川大学の医学部医学科に入学しました。
そして、二度の留年と一年の休学を経て最終的に2015年3月で自主退学しました。大学には合計5年間在籍したことになります。本題ではないので詳しくは述べませんが、そもそも医療に対する情熱など皆無であったことと、大学が肌に合わなかったことが原因だと思います。

大事な情報をここで書いておく必要がありますが、複数の奨学金を借りていた為、この時点で借金が1,300万円ほどありました。ちなみに今もほとんど減ってません。

大学中退後、在学中にLinuxに少し触れていたことや、自作PCの販売やちょっとした自宅サーバの構築運用していたことからIT業界に興味があったため、未経験からでも採用しているIT企業を探しました。
半月ほどの就職活動を経て2015年4月に都内の創業3年目のとある中小SES企業に入社することになります。
配属された現場は広島にあるIBMの事業所での大手消費者金融のインフラ保守運用業務で、年収は額面で250万円ほどでした。
本題では無いのでめちゃくちゃ省きますが、あれやこれやあった末に広島で出来た彼女と結婚することになり流石に年収250万はヤバイだろうということで転職することにしました。

転職活動二ヶ月で、エントリーは80社ほど、面接もオンラインや広島での面接、東京での面接合わせて20社以上受け、最終的には2016年11月にSansan株式会社に入社しました。年収も150万ほど上がり転職の目的も達成できたと思います。
1社目は入社から一年半での転職となりました。

よくあるSES企業の不満事項が数え役満な会社でしたが、今でも付き合いのある友人が数人出来たことや、広島で妻と出会えたことなどを踏まえるとまあ良かったんじゃないかと思います。

さて、ここから本題

Sansan株式会社 (2016/11 - 2018/7)

無事転職したその月に入籍し、新たなスタートを切ります。

Sansan株式会社には、一年八ヶ月在籍しました。所属はIT&ロジスティクス部という社長直下の単独部署で、情シス機能とSansanのスキャナ、タブレットの出荷、キッティングなどを担当するロジスティクス機能を持ち合わせた部署でした。

情シス業務は多岐にわたり、クラウドではActiveDirectoryを筆頭にクーロン処理を行うサーバ、社内共有ストレージなどの社内インフラ系のAWSリソースの設計構築保守運用、コーポレートサイトなど複数のWordpressが載ったEC2の管理をしていました。

もちろんクラウドだけではなく入社当時はオンプレミスにDHCPサーバが存在したり、様々なネットワーク機器の設置、配線、管理もありました。

当然様々なSaaSツールのアカウント管理やヘルプデスク、機器のキッティング、資産管理、複合機、ドアセキュリティ、社内SNSのボット作成、機器調達の為のベンダーとの交渉や、レンタル、外注の枠組み作りまでやります。

リモートオフィス開設時には内覧にも行きますし、ケーブルの配線やラッキングもやりました。

雑務が多く、チームメンバーは正社員よりもアルバイトや契約社員の比率が高い部署でした。そんな中で一番良い経験だったのは、とにかく雑務、ルーチンばかりを担当していた彼らと一緒に業務フローの整備を行い、彼らの業務範囲を拡大していく取り組みをしたことです。

手順書ベースのアルバイトさんに、自分で手順を作ってもらい、手順の修正もお願いし、自分は自分でスクリプトなどで自動化できる部分を自動化していき、両輪で業務改善を行なっていったことが何より楽しい時間だったと思います。

ですが一方で歩みの遅さも感じていました。開発組織で言うところの技術負債が溜まりに溜まった部署だったので、いつまで経っても改善は終わらないのではないか?と感じることが多かったです。

その頃SRE本を読み、「私自身にもっとエンジニアとしての技術力があれば、様々な業務を自動化しこのチームを救えるのではないか?」とそんなことを考えることが多くなりましたが、雑務に追われ業務内で技術に触れることも日に日に減る毎日で「このままではヤバイ」という思いが募りました。

Sansanに入り一年半ほどで年収も70万ほど上がり、妻もコールセンターに正社員で勤め、世帯年収的にはそこそこ余裕もあったため、「今の内に一度年収を下げてでもプロダクトサイドのインフラ、出来ればSRE組織で自動化などの技術を業務で身につけよう。」と転職活動を始めました。

転職活動は友人のエンジニアの紹介もあって、2社ほど受けてすぐに決まりました。SREチームを立ち上げたばかりのアソビュー株式会社でSREとして雇ってもらうことになったのです。

有り難いことにSansanでは何度も部長、役員クラスの方々と面談が組まれ、「お前はあの部署に必要な人材なんだ。技術だけで解決出来ない課題にも対応できて、アンテナの高いお前が必要なんだ」と引き止めてもらいました。「お前の強みは技術だけではないだろ。今技術に寄ることがベストな選択ではない」ということを何度も言われました。

私は今でもSansanのニュースはずっとチェックしていて、Sansanの人と飲みに行くことも多く、大好きな会社です。プロダクトも好きだし、会社のVision, Mission, Valueを全社員で考えたりする社風、様々な素晴らしい人事制度、優れた人材がたくさんいること、などなど好きな点は上げたらキリが無いです。良い会社です。

ですが、当時は半ば盲目的に「この部署にずっといたら、この部署は救えない」と思っていたので転職することにしました。

「技術をつける」という明確な目的があったので、アソビューの面接時には何度も「情シス的な仕事はやらずにSREとして自動化などに取り組んでいきたい」という点をすり合わせ、計4回面談しました。「プロダクトサイドの実務未経験だから」ということで提示は年収で70万ほど下がりSansan入社当初くらいまで落ち込むような計算でしたが、「年収を下げてでもチャレンジできるとしたらここが最後」とも思った為、内定を受諾することにしました。

アソビュー株式会社 (2018/8 - 2019/1)

アソビューに入って最初の仕事は社内のインターネット環境の整備でした。「この人と一緒に働きたい」と思い、面接も二度してもらった上長にあたる人物が私が入ったその月に退職するということで、彼が最後に担当していたWiFiの改善を引き継ぐことになったのです。

当時のインターネット環境はあまりにひどく、ローカル開発環境用のDBダンプ数GBをS3からブラウザでダウンロードするとタイムアウトしてしまうし、数十分に一度APのクライアント数限界に達してネットが切れてしまうとし、ウェブ会議なんてとてもじゃないけど出来ないので、皆個人のスマホの4G回線でウェブ会議するような状況でした。比較的軽量なappear.inでその状態です。とにかく、自分自身も困っていたので調査を始めました。

調査したところ、恐らくずさんな業者がPBXを同じネットワーク配下に適当に構築したため、GWが2つあり、DHCP範囲に固定IPがいくつもあるような状態であることがわかりました。わかりやすくいうと、192.168.0.1であるルーターが2つ存在し、その後ろのONUも2つ、WiFiでDHCPでアドレスが振られる範囲に固定IPの振られた電話機が数十台ある感じです。(IPは実際とは異なります)

あまりの惨状に驚きつつ、ネットワークを分離し、VLANも再設計して完全に直しました。

次のタスクはサービスへの脆弱性診断とWAF適用でした。はっきり言ってほとんど知見は無かったですが、大口顧客の要望なのでやらないわけにもいきません。何故かタスクを振られた時点でデッドラインが一か月くらいだったので、Sansan時代のCSIRTの友人にもアドバイスをもらいながら、OWASP Zapで診断し、AWS WAFを用いてインフラへの変更無しに適用しました。診断結果はここでは述べません(白目)

次は予約完了メールなどを送付するSendgridのバックアップとして配置されていたSendmailサーバが一年以上前から正常稼働できていないことが、とあるアプリログから分かった為、その復旧を担当しました。(Sendgridはほとんど失敗しないので、Sendmailが止まっていてもそれほど問題はありません)
稼働できなくなったタイミングのログは既にローテーションされており、バックアップもなく、どのように設計構築されたかも分からない状態だったので調査はとても難航しました。誰も過去の経緯などを正しく知っている人物がおらず、なかなか苦しいタスクでした。

結局別サーバでPostfixで新規構築し、DNSの向き先を変えることで復旧させました。SMTPやDNSまわり、DKIM認証やSPFレコードなどなど、今まで触ったことの無い技術に触れたので多くの学びがありました。

最後にやったのが、社内にたったひとつ残っていた、JenkinsやNexusリポジトリなどが入ったオンプレサーバのAWS移行です。これも技術的には大したこと無いのですが、やはり経緯などが分からず、何に使っているジョブか誰も知らないものがたくさんあったりなど、そういうツラミが多いタスクでした。
最終的には出来るだけまるっとそのまま同じ構成、バージョンで再構築しDNSの向き先を変える手法でほぼ無停止で移行しました。

あとは他にも細かなタスクもあったのですが、比較的大きなものとして、社内のPBXを廃止してクラウドPBX化しようというプロジェクトの技術面でのバックアップという情シスタスクをメールサーバやオンプレサーバのタスクと並行してやっていました。

お分かりのように、半年という期間でSRE的なタスクよりは、情シス的なタスクが多かったです。

さて、何故辞めようと思ったのかについて書いていきます。

Sansanを辞めるとき、比較的家庭の経済状況は安定していた為踏み出せたと書きました。

「プロダクトサイドの実務未経験だから」ということで提示は年収で70万ほど下がりSansan入社当初くらいまで落ち込むような計算でしたが、「年収を下げてでもチャレンジできるとしたらここが最後」とも思った為、内定を受諾することにしました。

しかし、アソビューに入社した月末に、妻が仕事を辞め、次の仕事も決まっていなかった為世帯月収は半分近く減りました。
さらに悪いことにSansanは給与が当月払い、アソビューは翌月払いであったため、私の収入も一か月止まることになります。いきなりマイナスが出て、月収が半分になったので生活が一気に崩れたのは言うまでもありません。

友人の結婚式はご祝儀が出せず2件キャンセル、家での食事も麺類を中心とした栄養バランスの悪いものになり、体調がかなり悪くなりました。メンタル的にも不安定な状態が続き、仕事のパフォーマンスも自分が想定しているラインよりは低いところを走っていました。

色々と業務内容などにも不満はありましたが、色んな人に相談し、色々考えた結果、何はともあれ生活の基盤を安定させないことには、仕事も何もかも上手く行かない、という結論に至ったのです。
また、「自身の情シスとしてのスキルを安売りすべきではない。特に生活を崩してまでやることでは無い」と強く思いました。

そして、自身の経歴を活かし150万円以上の年収アップが見込めることを最低条件として情シス系の募集にいくつか応募し始めました。
Twitterで「転職を考えています」と書いたところ、SRE Loungeという勉強会を主催しているかつひささんから「弊社では今、情シス部門を立ち上げる必要があり、情シス人材を探している。良かったら弊社も転職先の候補の片隅に入れてもらえないか」とDMが届いたのです。

SRE Loungeでは運営のお手伝いを何度かさせて頂いている為、かつひささんの所属する株式会社スタディストのことも、主力サービスであるTeachme Bizのこともよく知っていました。
かつひささんのSREチームにおける取り組みや、会社としてオンボーディングに力を入れていることも元々魅力的だと感じていました。
実はSansan時代に情シス部門における情報共有ツール(チーム内Wiki)を探していた時に、他部署で使っていたTeachme Bizを検討したこともあり、以前から興味があるサービスだったので、二つ返事で「是非一度お話させてください」とお答えしました。

とはいえ、転職の最重要目的である年収部分は担保する必要があるため、手持ちは増やしておきたく他の企業も継続して面接に通いました。いくつか内定を頂き、自身の情シスとしての市場価値が私の想定していた「150万以上の年収アップ」に十分に到達しているものであることが分かりました。

「2018年12月における情シスとしての自分の市場価値は、Sansan時代よりも年収で70万ほど上がっている」ことがわかったのです。

実のところ転職活動だけではなく、社内でも人事の方や上長と面談を繰り返し、「情シスとしてであればSansan時代と同等の水準に引き上げてもらうことはできないか?」という交渉も進めていました。(実際はもっとオブラートに包んだマイルドな表現ですw)
しかし答えは「今の給与は内定受諾時の合意だから例え職種が違っても変わるものではない」という説明でした。これはダメ元だったので仕方ないと思います。普通ならここで終わるところですが、転職活動をしていたことで、ある意味冷静に「辞める」という判断ができたのかもしれません。

サイボウズのブログにも書かれていたように、やはり社外的な市場価値というのは転職活動してみないと分からないということだと思います。

スタディストに話を戻します。かつひささんとのカジュアル面談から一次面接、二次面接、三次面接と回を重ね、会社自体にどんどん惹かれていくのを感じていましたし、情シス部門を立ち上げる戦略的にも「自社で作っているマニュアル作成配信プラットフォームを全社で使っていることは、必ず追い風になる」と感じていました。通常、情報共有基盤を整えること自体が情シスとしてひとつの大きく、かつ難易度の高いプロジェクトなので、それが整った状態で情シス部門を立ち上げることは強くてニューゲームと言っても過言ではありません。

代表との最終面接では「Teachme Bizというサービスは現在のターゲットだけではなく、バックオフィス部門や情シス部門にも必ずリーチするサービスであると思う」ということを嘘偽りなく伝え、代表からも『私もそう思うし、もしご入社されたら情シス目線でフル活用しながらサービスに足りない部分など意見が欲しい』と言って頂きました。この時点で私の中では「年収のラインさえ超えるのであれば内定受諾しよう」と考えていました。

そして数日後のオファー面談で無事に設定していたラインを超える提示を頂いたので、その場で受諾しました。

数日働いてみて

実は近々本社の移転があるので、今はそのタスクに追われていますが、やはりオンボーディングがしっかりしているので、心理的安全性という意味では高い水準に感じます。

今後は、SREチームなど開発組織とも連携しながら、バックオフィスにもDevOps的アプローチを取り入れていくような仕事が出来たらいいなと思います。

二度の転職での教訓

1. Sansanを辞める時に、「技術以外の持ち味を活かせ」という役員陣からの助言は聞くべきであった。

2. 妻の収入をアテにするな。お前が稼げ

3. そこそこ収入がある(800〜1000万ほど)か、独身で無い限り極力年収を下げる転職をすべきではない

4. 強みを活かせ

5. 自分を安売りするな

さいごに

転職を考える方々の一助になれば良いと思います。読んでいただきありがとうございました

おまけ(2019/06/01 追記)

この裏側で走っていた結婚などについて、「しがないラジオ」でかなりラフにお話しましたので、良かったら聞いてみて下さい。


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