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おかあさんが『いい先生』から教わること

『おかあさん』という目線から、娘や息子の先生を見ていて、改めて思うのは

やはり心のある先生に子どもの気持ちは向くということ。

それはきっと多くの人が、自身が出逢ってきた先生だったり、金八先生やGTOなどのドラマを観ていて感じた気持ちではないだろうか。

家庭訪問や懇談で私が先生と直接お話しをさせていただくのは年に3回。先生の授業以外の仕事が激務なのは周知の事実、なのでなるべく話しも長くならないように、聞いて答えてサササと退出しようと心掛けている。

我が子は普通に授業を受けているようなので、「真面目に授業を受けていて、友達とも楽しそうにしておられます。えーっと・・・。」と話すことがないなぁっと困った顔をされることが幾度もあり。まぁ何もないことはいいことだとサササと教室を出る。

でも帰り道にふと(この時間なんやったのかなぁ?)と思ってしまったりもする。いや、その時間は必要だったのだろうけれど、失礼ながらもそう感じてしまったのは、せっかくの2人で話している時間なのに、気持ちが通い合っている感じがしなかったからだと思う。

別に通い合ってなくてもいいのではないか?と言われれば、確かに先生と保護者が仲良くなる必要はない訳で・・・。

新しい学年になった途端に、学校などですれ違って挨拶をしようとしても、スっと通って行かれたりすると、(そりゃ前の学年の保護者にまで気を配ってられないよね。)とも感じる。

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でも何人かの先生は現在担当しているしていない関係なく「あっ、○○さん!!○○さんは新しい学年でも元気にされていますか?」とか「お疲れ様です。今日はPTAですか?お忙しい中ありがとうございます。」と声を掛けて下さる。

これは、もうなんとも言えない嬉しさや温かさがじんわりと心に広がっていく訳で。

そしてそんな先生との懇談は、真面目に授業を受けていますということにプラスして、娘や息子が先生や友達にどのように接しているのか、委員会やクラブなどでどのような振る舞いをしているのか、時間いっぱい次から次へと話しをして下さっては、私にも「おかあさん、大変だと思いますが、今の調子で子どもの話しを存分に聞いて、頑張って下さいね。」と声を掛けて下さったものだ。

子ども自身も先生のことが好きで、さらには授業もわかりやすいとのことだった。

保護者はよく先生のことを、当たりとかハズレとか言う。その言い方は私はあまり好きではない。でも、『いい先生』という言葉は使っている。

『いい先生』は、なんだか自分がいい先生だとわかっておられるような雰囲気も感じる。美人やイケメンが自分のことをそうだとわかっているように。

そして生徒からなんだか敬遠されている先生は、そのことをあんまりわかっていない感じがするのは私だけだろうか。

『いい先生』は一体どういう環境で、どのようなことを感じながらここまできたのだろうか?と思ってしまう。

子どもたちもよく「あの先生いい先生だよね。」というようなことを言うけれど、そんな先生に出逢えたことを大事に思ってほしい。

そして私も学ばせていただこう。『いい先生』の要素は『いいおかあさん』にも転用できると思うから。心あるおかあさんになろう。

あくまで2020年の私の想いです。


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