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Christie's: 「宝飾品市場を動かした、宝飾史に名を残す10のジュエリー 」

クリスティーズHPより、2019年12月13日の記事を日本語に翻訳しました。
元記事(英)はこちら: https://www.christies.com/features/10-jewels-that-created-auction-history-and-changed-the-market-9549-3.aspx?sc_lang=en


――――以下翻訳です―――――――――

26年連続業界首位のクリスティーズが、ジュネーブでのウィンストン ピンクレガシーダイヤモンドの史上最高落札価格更新を記念して、オッペンハイマー ブルーダイヤモンドやラ ペレグリナなどの見事なジュエリーの数々を振り返ります。

1 ラ ペレグリナ
数々のスターに愛された天然真珠のジュエリー

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500年もの歴史を持つジュエリーや、王侯貴族やハリウッドスターらの手を経てきたジュエリーはそう多くはない。1576年にパナマ沖で発見されたラ ペレグリナはそのような宝石のひとつである。

202.24グレイン*のこの完璧なペアシェイプの真珠は、1582年にスペインのフェリペ2世に売却され、すぐにスペイン王室で最も重要なジュエリーのひとつとなった(1グレイン=50ミリグラム=1/4カラット)。以降8人のスペイン国王の手を経た200年余りののち、ナポリとシチリアの王でナポレオン・ボナパルトの兄、ジョセフ=ナポレオン・ボナパルトの手に渡った。

1969年、リチャードバートンが、妻エリザベス・テイラーの37歳の誕生日のサプライズギフトとしてニューヨークのオークションで37,000米ドルで購入。カルティエ製のネックレスにリマウントされ、エリザベスはこのネックレスを映画やイベントでたびたび身につけている。

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ラ ペレグリナの直近の競売は、2011年12月のニューヨークのクリスティーズである。最低見積価格の5倍を超える11,842,500米ドルで落札され、当時の天然パールの最高落札価格を更新した。

エリザベス・テイラーコレクションは、個人の名を冠したものとしては歴史上最も成功したオークションである。


2 ハンコック レッド
記録破りの自然の驚異

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1987年4月、クリスティーズがたった0.95カラットの小さなダイヤモンドをニューヨーク競売の目玉として出品した。このダイヤモンドが特別だったのはそのカラーだった。ファンシーパープリッシュレッド。

ダイヤモンドのうち「ファンシー」カラーと評価されるのは10万分にたったひとつである。経験豊富なダイヤモンドディーラーでさえそのキャリアを通じて3度扱えれば大ラッキーというほど希少なレッドダイヤモンドとなれば、その発生確率はさらに飛躍的に低くなる。

この0.95カラット(わずか0.19グラム)の自然が生み出した奇跡は、モンタナ州の農場主ハンコック氏のコレクションの一部で、1956年に1万3千5百ドルで氏が入手したものと噂されている。

ハンコックレッドは1987年に見積落札価格10万ドルー15万ドルで競売にかけられた。88万ドル、1カラットあたり92万6千ドルという驚異的な金額で落札され、オークション史上最高値を記録した。

3 スピネル ネックレス
ムガル帝国の3皇帝が刻印したビーズの首飾り

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1997年10月、クリスティーズロンドンは、インド独立50周年を記念して「名高いインディアンジュエリー」をテーマにとした競売を開催した。驚くほど華麗なインドの伝統的デザインにフォーカスしたこの画期的なオークションは、多くの関心を集めた。

競売では、17世紀から20世紀に製作された、100点を超えるジュエリーや宝石の置物が扱われた。ムガル皇帝が北部と中部インドを統治した332年間は、芸術が成熟した時代の典型ともいえる。

スピネルは最も珍重された宝石のひとつで、代々の皇帝たちは、不老不死の願いを込めて自らの名前と聖職位を彫り込んだ。ルビーより大きく、ルビーレッドからヴェリーライトピンクまでの色調となるスピネルは、ファセットせず主にビーズとして身につけられた。

ムガル帝国の財宝は、1739年、ペルシャ帝国皇帝ナーディル・シャーに略奪され、その後分散されたため、ほんの数点のネックレスしか現存していない。1997年に出品されたものは11石、合計877.23カラットのスピネルビーズで構成され、そのうちの3つにはそれぞれ、ムガル帝国で最も有名な3皇帝、アクバル、ジャハーンギール、シャー・ジャハーンの名が彫り込まれている。このネックレスは88万1千500ポンド(142万8千30米ドル)で落札された。

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4 オッペンハイマーブルー
オークション史上最も高額のブルーダイヤモンド

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2016年5月18日、クリスティーズ ジュネーブのマグニフィセント ジュエルズにてロットナンバー242のオッペンハイマー ブルーが5683万7千スイスフラン(5797万3千米ドル)で落札され、当時のジュエリーオークション史上最高金額を叩き出した。このダイヤモンドは、シーズン中の全オークションでも最高落札価格となった。

このダイヤモンドは、前の所有者であった宝石収集家、フィリップ・オッペンハイマー卿に敬意を表して名付けられた。何世代にもわたりダイヤモンド業界を牽引してきたオッペンハイマー家にあって、フィリップ卿は好みのダイヤモンドを選ぶことができた。彼は、この完璧な色、非の打ちどころのないカットグレード、素晴らしいレクタンギュラーシェイプによりこのダイヤモンドを選り抜いた。


その美しさからだけでなく流通量の少なさから、ここ近年、ブルーダイヤモンドを求める層が広がっている。オッペンハイマー ブルー ダイヤモンドは、GIA(米国宝石学会)によって、ブルーダイヤのなかでもカラーと彩度が最高グレードであることを意味する「ファンシーヴィヴィッドブルー」に分類されている。14.62カラットは、オークション史上最大のファンシーヴィヴィッドブルーダイヤモンドである。


「オッペンハイマーブルーは世界で最も希少な宝石のひとつとしか説明のしようがない」と長年にわたりクリスティーズで最高の宝飾品の取り扱ってきたフランソワ・キュリエルは言う。「それは宝石の中の宝石なのだ。」


5 ブルー ベル オブ アジア
歴史上最も大きなサファイアのひとつ

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100カラットを超えるサファイアは非常に希少であるとはいえ、世界中の主要な宝石コレクションの中にはその記録が見られるものである。しかしながら、350カラットを超えるサファイアとなるとその数は実に限られる。

392.52カラットのブルー ベル オブ アジアは、歴史上4番目に大きなブルーサファイアである。それより大きいのは、東洋の蒼い巨人(486.52カラット)、ルーマニア女王のサファイア(478.68カラット)、ローガンサファイア(422.99カラット)のみである。

この伝説の宝石は、1926年、「宝石の島」の異名を持つセイロン島(現在のスリランカ)で発見された。「約400カラット、5万ポンドにはなるだろう」との記録がのこっている。その後コロンボの有名宝石ディーラー、マカン・マルカーの手に渡り、1937年にイギリス自動車の大物、モーリス自動車会社の創立者モリス子爵が購入した。
実はこのサファイアは、ジョージ6世の妻でエリザベス2世の母、エリザベス王妃の1937年5月の戴冠式に、王妃に進呈されることになっていた。しかしながら、ブルー ベル オブ アジアは民間の手に「消え」、その在り処は何十年もの間謎に包まれていた。

2014年11月1日、ブルー ベル オブ アジアは再び姿を現し、クリスティーズジュネーヴの「個人コレクターの資産」でオークションに初めてかけられた。1696万5千スイスフランー1730万ドルーで落札され、オークション史上最も高額なサファイアかつ史上最も高いカラーストーンとなった。

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6  ザ グラフ ルビー
カラーストーンの転機

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2005年の終わり、シニアインターナショナルジュエリースペシャリスト、ジャン=マルク・ルネルはクリスティーズのモナコオフィスから一本の電話を受けた。それは銀行の貸金庫に眠る何点かの装飾品の査定を依頼してきた客に関する話だった。

コレクションは宝飾品9点であった。ファラオーネやヴァン クリーフ&アーペルの刻印が入ったジュエリーと、そしてブルガリ製の見事なリング3点である。ひとつめのリングにはビルマ産のサファイアが、ふたつめにはDカラーのダイヤモンドが、そして3つめには8.62カラットの未処理のビルマ産ルビーがセットされていた。

このサイズのビルマ産ルビーで、しかも未処理のものは、信じられないほどに希少である。ほぼ内包物が見えないほどの驚くべき高い純度で、かつ赤色が美しい結晶と出会えるのは、一生に一度の出来事だ。


その9点のコレクションは、2006年2月にサンモリッツにてクリスティーズの競売にかけられたが、中でもルビーのリングはオークションのプレビュー前から町中の噂となった。もともと1960年代にイタリア国内のブルガリ店舗で購入されたこのルビーは、予想落札価格を40万ドルから60万ドルと見積もられた。


競売中、落札されるまでの20分にも及ぶ競り合いは火花散るものだった。最終的に363万7480ドル、ルビーの1カラットあたりの史上最高金額(42万1981ドル)で購入された。オークション終了後に購入者の身元が明かされ、このルビーは「ザ グラフ ルビー」と名付けられた。このオークションは、カラーストーンの価値、重要性と希少性を強調する重要な出来事であったと言える。

7 ロックフェラー エメラルド
サイズ、来歴、希少性とその魅力

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クレオパトラは、ジュリアス・シーザーへの贈り物としてエメラルド製の自分の彫像の製作を命じたという。そのクレオパトラの時代以来、ロマノフ皇帝やムガール帝国皇帝から英国王室まで、印象的なエメラルドの品ぞろえなしには完璧なジュエリーコレクションとは言えない。

2017年6月、ロックフェラー家に伝わる18.04カラットのジェムクオリティのエメラルドがクリスティーズオークションにかけられた。母の死の後にデヴィッド・ロックフェラーが受け継いだこのエメラルドは、1948年にレイモンド・ヤードがデザインしたダイヤモンドのリングにセットされていた。

AGLが「エクセプショナル」で「その希少性と魅力の要因であるそのサイズ、来歴、未処理かつ高品質であるという要素の比類なきコンビネーション」を持つと述べたこのロックフェラー エメラルドは、551万1500ドルで落札された。1カラットあたり30万5516ドルという価格は、エリザベス・テイラー コレクションのブルガリ エメラルド ブローチが持っていた1カラットあたりの記録を破った。

オークションの翌日、「アメリカで最も重要な名家が所有していた世界最高のエメラルドを所有することを大いに誇りに思う」とのコメントがハリー・ウィンストンの代理人によって発表されている。

8 ジャー 「パロット チューリップ」バングル
熱狂を扇動するジュエリー

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2014年11月のジュネーヴ マグニフィセント ジュエルズ オークションのロットナンバー305、ジャーが1994年に製作した「パロットチューリップ」バングルは、19万スイスフランから29万スイスフランと比較的控えめな予想価格がつけられていた。前年にメトロポリタン美術館に展示されたジュエリーであったが、入札合戦の事前準備をしていたのはわずか数人で、最終的には2名の電話入札で落札が争われた。

ダイヤモンドやガーネットがアクセントに散りばめられてはいるがこのジュエリーの主な素材はゴールドで、352万5千スイスフランという驚くべき落札価格は、純粋に、ジュエラー ジョエル・アーサー・ローゼンタールの芸術性が決定付けた価値である。

ローゼンタールは、ピエール・ジャネットとパリに開いた、変わった色の毛糸の刺繍を製作する小さな店で1960年代に名声を築いた。彼はその職人魂を同様に注ぐジュエリーサロンをジャネットとともにヴァンドーム広場にオープンし、自身のイニシャルをとってJARと名付けた。

JARは、年間わずか70点から80点をごく限られた顧客にのみ製作する。壮麗な造形のデザインと精巧なパヴェワーク、彼特有の色彩感覚による宝石の組み合わせで評価が高い。

1987年にニューヨークの国立デザインアカデミー、2002年にロンドンのサマセットアカデミー、そして2013年11月にニューヨークのメトロポリタン美術館と、ローゼンタールは過去3度の個展を開催している。存命のジュエリーデザイナーの回顧展はメトロポリタン美術館にとって初の開催であった。

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No.9以降も随時アップデートしていきます。
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