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私は「知性の流行」に乗っかっているだけかも 〜『コテンラジオ』番外編 #74を聴く

「何となく言語力の高さを知性とする風潮があるけれど、僕たちはもっと違った他の知性の存在を認識していないだけかもしれない」。そんな話が『コテンラジオ』から流れてきた。

『コテンラジオ』は歴史について非常に分かりやすく噛み砕いてくれるコンテンツで、しばらく前から聴いている。たまに番外編として歴史ではない分野でもトークがあって、いつも示唆に富む。今回も本だったらめちゃくちゃドッグイヤーを付けたくなるような話ばかりだった。

「言語化」とは違う頭の良さがある

冒頭でも紹介したように、現代社会では言語化できる能力やロジカルシンキングが持てはやされていて、それができると「知性」があるとされる。でも本当はもっと違う能力も「知性」と呼べるのではないか。

トークの中で紹介されていたのは、写真などの画像情報、TikTokなどの動画、対面コミュニケーションでの表情や仕草を読み解く力。それに狩猟のように自然を読み解いて生きていく力、音楽や美術などのアートとして表現する力など。

どんな分野がどんな「知性」と言えるかは、ぜひコンテンツを視聴して確かめてほしい。

自分に当てはめてみると、私は「言語化する力」が標準よりは長けているので今の仕事をできているのだと思う。その代わりそれ以外の能力、言い換えると「他の知性」には長けていないし、無意識に避けているかもしれない。

話を聞きながら「ああ、自分はたまたま言語化を良しとするのがトレンドの時期に仕事を始めたから、やっていけてるんだな」と感じた。今はそれが急速に変わりつつある。写真や動画のように一瞬で伝えられる情報量が多く、エモーショナルに響くコンテンツが良しとされる世界になっている。

今から同じだけ広げようと思ったら、もっと動画や画像などのコミュニケーション能力を使っていかないとダメで、ずっと言語にこだわっていたら届く人数が大幅に減るだろう。

トークの中では、言語化が得意な人たちは7,8%くらいではという数字が出ていた。数字の正確性はともかく、非常に少ない人にしかリーチしなそうという体感はある。

ということは、伸びしろも多い?

一瞬「自分の得意領域ではもう広がらないのか」と思ったけれど、よく考えると逆にも捉えることができる。まだ93%くらいが手つかずで、未開拓エリアと言えるからだ。開拓する余地がある。

今も文章で何かを書く以外に、YouTubeで文法動画を上げたりしている。そこはまた文章で情報を得る人たちとは違う世界が広がっていて、動画のほうから「よく分かった」と言ってもらえることもある。

今回の番外編で言うところの「違う知性」を持った人たちが、言語とは違う形から情報を効率よく受け取って、伝わっている。

自分にとっては馴染みのない苦手な領域だったけれど、そんなことを言っている場合ではない。「書く」のが目的だったら言語化して文章にするのは必須だけれど、「伝える」のが目的だったらその限りではない。

何となくモヤモヤしていたことが、今回の番外編を聞いて腑に落ちた。そうか、違う種類の「知性」を持った人たちに働きかけるアクションがまだできるんだな。

ショート動画やTikTokのような短い時間で伝えるツールも、自分にとっては苦手でも、ある人にとっては情報がすんなり入る方法の一つ。そういう人が確実に増えているし、働きかけないと今以上には広がらない。そうか。

ダウン症の人たちが通うアトリエを思い出した

トークの後半で障害の話が出てきて、私は伊勢志摩にある「アトリエ・エレマン・プレザン」を思い出した。

4月に訪れる機会があり、ワークショップを見学させてもらった。その際に感じたことと、今回の番外編で話されていることが重なったからだ。見学の感想はルポとして文字にした。

しばらく見ていて、彼らには「絶対音感」に似た「絶対色彩感」や「絶対構図感」のようなものが備わっているのではと思えた。その特性を持つ人がたまたまダウン症の人たちに多いのであって、ダウン症の人が描いたという看板を先にすると順番が逆だろう。

神山典士さんFB 2022年5月14日投稿より(文:丘村奈央子)

たぶん今回のトークにある「知性」の一種だと思う。もう、絵を見るとダウン症だからとか障害があるからとか、そういう枠を超えたところにある才能なのだなと思った。

認識することもできる、働きかけもできる

確かに今までは「言語化」に縛られ過ぎていた。それを商売道具にしてやっている以上、離れるわけにはいかない。ただしそれ以外の領域も人間の可能性としてまだまだ広がっていて、「こういう知性もあるな」と認識することも「そこのエリアの人へ働きかけよう」と動くこともできる。

今回はそこが大きな発見だった。「言語化」から離れて考えるための大きな船をもらった感じ。

持っているコンテンツの言語化はある程度まで進んでいる。でも音声化や動画化のような、その方法で伝わりやすい人たちへ向けたコンテンツはまだ作っていない。ということは、まだ伸びしろがある。

「自分に分かりづらいのだから、他の人も分かりづらいだろう」という壁は取っ払おうと思う。他の伝え方はいろいろある、自分が知らないところで。


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