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東京国立博物館で「国宝展」を観る

2022年10月下旬、東京国立博物館の「国宝展」を観に行った。正式名称を調べたら「東京国立博物館創立150年記念 特別展『国宝 東京国立博物館のすべて』」だった。長い。

予約したのはチケット解禁になってから1日か2日後だったものの、平日だったおかげか滞りなく希望の時間帯で取れた。

実はトーハクに行くのは今回が初めて。人気の企画展ほど「大行列、時間がかかる」のイメージがあって足が向かなかった。でも事前予約制なら大丈夫だろうと思ってやっと行くことにした。事前予約でなかったら諦めていたかもしれない。

「国宝展」の展示構成

特別展は「第1部 東京国立博物館の国宝」と「第2部 東京国立博物館の150年」に分かれている。「第1部」はさらに絵画・書跡・東洋絵画・東洋書跡・法隆寺献納宝物・考古・漆工・刀剣に分類して展示。

現在、国宝に指定されている美術工芸品は全国に902件あります。東京国立博物館ではその約1割となる89件を所蔵し、日本最大の国宝コレクションを誇ります。第1部では、この国宝89件すべてを会期中に公開します。

展示構成|東京国立博物館創立150年記念 特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」
https://tohaku150th.jp/highlight/

何とも太っ腹な。ただし展示は前期と後期に分かれるので、本当に全部観るためには2回見学する必要がある。

展示されているものは1点1点が力強く、保存状態も美しい。その中でも自分が気になったポイントを紹介したい。

書跡・その距離を想像する

これは絵画も彫刻も同じと言えばそうなのだけど、特に書跡を前にしたときに感じられたことだった。それは「今いるこの距離と同じところに、書き手が座っていたんだな」ということ。

聖武天皇や藤原行成のような歴史上の人物でも、筆に墨を含ませて真っさらなこの紙を前にしたときは緊張したかもしれない。そのときの紙の距離感は、今自分が観ているのとそう変わらない。

逆にこの書跡からの視点を考えても面白い。恭しくそんな人たちの一筆一筆を受け止めた後、大事に保存されたかと思ったら1000年後に照明を浴びてこんな大勢の人に観られる人生(紙生?)になるとは。

27《群書治要 巻第二十二》は「平安時代に帝王学の教科書として重んじられ、宮中で講読された記録が残る」という。この巻物を手にしながら国の運営を考えた人がいる。彼らと同じ距離で同じ文章に対峙していると思うと、一瞬、時間を超えられる。

刀剣・デビューがここでいいのかな

刀剣ブームとは聞くけれど、そこまで興味を持って観る対象ではなかった。でも今回の「国宝展」ではこの部屋は結構目玉だ。

いよいよ本展の大きな見どころ、国宝刀剣19件の展示だ。
「東京国立博物館は国宝刀剣19振りを所蔵しており、これも日本最多。本展では、国宝刀剣すべてをひとつの展示室でまとめてお見せします。刃文や地鉄(じがね)の美しさを見せるために、照明や展示ケースにこだわりました。これが名付けて『国宝刀剣の間』です」(佐藤)

国宝89件を公開!特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」の全貌をレポート
https://www.tokyoartbeat.com/articles/-/tohaku150th-report-2022-10

事前予約制とはいえ、ガラスケース前には常に数人が固まっているような状態で、友達と詳しく語り合っている人もいる。私はほとんど刀剣鑑賞デビューのようなものなのに、こんな超一級品が並ぶところから始めちゃっていいのかな。贅沢だ。

私が惹かれた刀剣は3振り。

75《太刀 銘 備前国包平作(名物 大包平)》
身幅がたっぷりしていて貫禄がある。それが余裕にも感じられて強さが伝わってくる。「太刀」というのはこういうものなのかと思ったひと振り。

77《短刀 銘 吉光(名物 厚藤四郎)》
作られたときは飾りではなく実用のためだっただろうから、その機能性を考えると背中がゾクゾクする。怖いのについ切っ先を観てしまう。短刀はもう1振りあったのだけれど、直線的で純朴なこちらのほうが気になった。ただ純朴に対象を切り裂くために作られた刀。うわあ、また観てしまう。

71《梨地螺鈿金装飾剣》
黒と銀で占められていた空間に、急にきらびやかな剣が現れる。上の2つとは全く逆で、装飾に全力を注いだ赤と金のキラッキラなひと振りだ。蒔絵や螺鈿、銅地鍍金を駆使。いつまでも眺めていられる。

刀剣の部屋を回って、最後に厚藤四郎にご挨拶して出てきた。

150年の歴史・国宝とも違う面白さ

タイトルで「東京国立博物館のすべて」と謳うとおり、創立150年の振り返りも大きな柱になっている。

お尻がキュート

入ってすぐ、博物館学を学ぶと必ず触れる「湯島聖堂博覧会」の紹介と、最も人気だった名古屋城金鯱の実物大レプリカが置いてある。よくウサギのようなふかふかした動物のお尻はキュートなものとして扱われている。金鯱のお尻もキュートだなと思った。自分の背より高いけれど。

同じように123《キリン剥製標本》もつい後ろから観てしまう。尻尾の毛束も乱れはここでずっと止まっていて、この先もこの形。

精緻な作品をぐるりと観られる

110 《鷲置物》は、1893年に鈴木長吉がシカゴ・コロンブス世界博覧会に応じて制作した青銅製の作品。金属なのに筋肉のしなやかさと力強さが分かる。細かく観ると羽にも一筋一筋の「毛」の彫り込みがある。猛禽のほんの刹那が永遠のものとして残っている。

写楽と北斎と歌重の本物がある

132-9 《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》は東洲斎写楽の代表的な大首絵。132−13《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》は葛飾北斎の代表作。単純にミーハーな気持ちから「本物を観た!」と思った2枚。版木だから当たり前だけれど、意外と小ぶりだった。

逆に、歌川広重の132-15《月と雁》は切手サイズを見慣れていたので「でかっ」と思った。最初の印象は後々まで引きずる。

並びの妙

ちょうど角になる位置に131《ナーガ上のブッダ坐像》がある。龍王であるナーガが雨の中で瞑想を続けるブッダを守るため自らの体を傘にした、という伝説が基になっている。

12世紀のカンボジア、アンコール時代に作られたもので、東南アジアの顔つきをしている。高さは65cmほどで大きくない。でも展示は目の高さにあり、背筋をピッと伸ばして真っすぐ前を向く姿勢、腰がくびれた美しい対称形の体躯、福々とした耳と口が「清々しいなあ」としばし見惚れた。

キュッと角を曲がると、同じ高さに130《一休和尚像》がある。

髪の毛ボサボサで無精ヒゲ、ハの字眉でちょっとふてくされた僧の顔。一休さん像として一番知られているあの1枚だ。

0.5秒前までブッダの清々しさを感じたまま出会ったので、一瞬頭が清と濁で混乱した。でも一休さんのこの姿は純粋な帰依と世の中への反骨心からだったはずなので、実は2つの像は同じものを表しているのかもしれない。

でもじゃあ、なんで私は今こっちを「清」と思ってそっちを「濁」だと思ったのだろう。そう思ってしまうこと自体、心が曇っているせいだからか。いや、でもこのブッダ像はやっぱり美しいしなあ。でも一休さんは美しくないのか、なんでそう思ってしまうのか。

ちょうど角だったので、しばらく足を留めて左右をキョロキョロ見比べてしまった。結論は出ていない。

図録はおすすめ

一番目立つところに平積みどころか山積みになっている。その厚さと重さにひるんだものの、価格を確かめると3000円。うわあ、買います!このボリュームだし、もっとするのかと思った。

展示作品が大判のカラー写真で紹介されているほか、解説文もそのまま収められている。現地で読み切れなかった部分もこれで確認できる。刀剣も写真になって銘の部分がクローズアップされていたり。

表紙をめくった後の見返しは、国宝写真がブロック状にぎっしり並んでいてこれだけでもありがたさがある。さすが国立博物館。

図録が買えるのはメインのミュージアムショップのほか、音声ガイド貸出ブースの右側でも「図録だけ販売ブース」が出ている。図録だけ欲しいのであればそちらのほうがはるかに早く買える(後で気づいた)。

本館までは時間が足りなかった

トーハクには企画展だけでなく本館の常設展もある。企画展の混雑に比べると余裕たっぷりで好きなだけ観られて、こちらにも国宝がさりげなく置いてある。企画展の後に寄るか、と思っていたけれど時間が全然足りなかった。今度はちゃんと本館を観に来よう。


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