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「ありがとう」の場所

コロナ禍で生活が制限され始めた頃、「こんな時期だから配達の人にもお礼を言おう」みたいなツイートがバズっていた。読んで真っ先の感想は「えっ今まで普通に言ってないの?!」だった。

ハンコを押したりサインしたりして荷物を受け取って、ドアを閉めるときはそんなに特別な気持ちなく「ありがとうございましたー」と言っていた。そんな人は声を上げていないだけで実は多いと思う。

何より、自分が運べないもの、運びにくいもの、近くで買えなくて困っていたものを玄関まで届けてくれるのだ。「ありがとうございます」以外に何があるだろう。数日前の注文のせいで雨の日の配達になってしまったときは、申し訳なさと一緒に「ああありがとうございますっ…!」と声を絞り出すことになる。

スーパーやお店のレジも同じだ。やっぱり最後にこちらも「ありがとうございます」と言いたくなる。レジのチェッカーの人が会計処理をしてくれなければ、私たちは店にあるものを「自分のもの」にできない。欲しいと思っていてもバイヤーさんが仕入れてくれないと買えない。仕入れたものを棚に並べてくれる人がいるから、私たちは商品を比較して選べる。

遡っていけば、そこに運んでくれる物流の人がいて、その前には開発して大量生産につなげてくれた人、実際にラインを動かして工場などで作ってくれる人がいる。お金と引き替えとはいえ、最後の一番良いところだけもらっていくのだから「ありがとうございます」と言いたくなる。

不労所得で収入を得ていたとしても、その収入のために証券会社や投資会社のシステム管理をしてくれる人や、毎日かっちり出勤して手続きを進めてくれる銀行員の人がいるからこそ自分の口座にお金が入ってくる。

移動するときは、電車やバスを運転してくれる人のおかげで寝ながらでも目的地へ行ける。いつも線路や車両を整備してくれる人がいるので安全が担保されている。

ネット通販だって、サイト管理やデザイナーさんのおかげで数クリックで欲しい物を注文できるし、注文後は倉庫からピッキング、梱包の人がいるから箱にまとめられて届く。クレジットカードも申し込んだ内容を登録してくれる人がいるので自分の身分がカード番号で証明できる。

そしてコロナ禍があってもなくても医療や福祉の人はプロのスキルでいろんなケアをしてくれる。一番弱っていてどうしようもないとき、命や生活に関わるところで助けてくれるのは昔から変わらない。

自分ができないことを代わりにしてくれる人、サポートしてくれる人にかける言葉はやっぱり「ありがとうございます」しかないと思っている。コロナ禍だからどう、というのではなくて。


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