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今までずっと、外で引きこもっていたようなものだった。

 あなたには、どれくらい親友と呼べる人がいますか?

 ちなみに僕は多く見積もっても2人くらいです。高校からの付き合いで今はロンドンで仕立て屋をしている男と、今の会社にお互い中途入社した同い年のデジタルプランナーの男と。どちらも僕にとっては珍しい太く長く続いている関係です。(10年以上前に飼っていた犬も親友かつ弟のような存在でしたがそれは割愛します。)

 親友もなかなか少ない僕ですが、友だちもかなり少ない方だと思います。中学高校はサッカー部でわりと大人数の所帯で部長などもやってきましたが、なぜか一定の距離感を作ってしまっていました。振り返ってみれば、「俺はちょっと違うんだぜ感」を演出したかったのかもしれません。

 こちらから遠ざけている間に、個人的にTwitterやFacebookなどのSNSもやっていなかったので(これは今もですが)連絡が取れる人数も減って行きました。それでも、1人で寂しいとは思わなかった。
 むしろ20代の一時期などは友人などいるかというようなスタンスで壁を築きまくり、彼女とだけ遊んだり過ごしてたりだいぶ閉鎖的な環境で過ごしていました。親や家族はそんな僕を遠巻きで見ていました。あまりにも社会性がないように見えたと思います。そして実際、付き合いが悪い男が出来上がるわけです。

 いま思えば、外で引きこもってたようなものでした。

 でも時間というのはどの分野にも効力を発揮するようで、紆余曲折あって四十路も見えてきてようやく人と「ふつうに」関係を築けるようになってきたように思います。最近では、仕事仲間とよく飲みますし、キャンプにも行くようになりました。

 僕個人の感覚で言えば、「友人」ではなく「仲間」と考えると関係性が築きやすいのかもしれません。それでもまだ、社内の人間とはやはり一定の距離感を保っていたりもするわけで。あまりに近すぎると遠ざけたくなる天邪鬼気質がつい顔を覗かせます。

 思えば僕は、「断定」、あるいは「判断」されることが極端に苦手なのかもしれません。「アイツはこういうやつ」と括られるのが嫌なんですね。「いやいやもっと違う面もあるでしょうよ」となっちゃう。こんな面倒なことを言うやつめんどいなという自覚もあるので、自発的に距離をとる。そのループ。相手側はそんなことまで考えてなく楽しく話せればそれでいいじゃんなはずですから、コミュニケーションとは難しいものです。

 思うに僕にとって、「親友はアートに近いもの」なのかもしれません。

 馴れ合いにならずに距離感は適度にありつつも、お互いの存在を認め合って関係し対峙し刺激し合い続ける。人生、そんなにピンとくるアートってないですよね。それと同じような遭遇頻度なんだと思います。

 ともあれ、あんまり距離とっていると生きづらいし、適当な関係もある意味では豊かにしてくれると思うので、あんまり肩肘張らずにやっていきたいなと思う今日このごろです。

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