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【創作短編、のようなもの】

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#超短編小説

男は選んだ。女は迷っていた。

男は選んだ。女は迷っていた。

 なんの用だったのかは憶えていないけれど、その深夜、2人でいっしょにコンビニにいたときのことを憶えている。

 おかしな話なのだけれど、私は店の前のベンチに座っていて、彼は赤い自転車を駐車場でぐるぐる大きな円を描くように運転していた。駐車場には車が1台も停まっていなかった。時間を持て余しているような顔をしたコンビニの店員が、窓の外から見えた。

 彼が、私たちのこれからについてどうするかどうか決め

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目の前のランナー

目の前のランナー

 どうやら交通事故にあったらしい。
 らしい、というのは記憶がないからだ。

 でもその時のことは断片的に覚えている。あ、朝薬を飲み忘れたな飲まなきゃ、ということや、自転車の空気抜けてたな入れなきゃ、と思ったことを覚えている。非日常的な衝撃の瞬間には、人はずいぶん実際的なことを考えるものらしい。

 不幸中の幸いとはまさにこのことで、事故による怪我の程度はそれほど重くはなく、肘付近の骨にヒビが入っ

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台風が過ぎた朝の痩せた鳩

台風が過ぎた朝の痩せた鳩

 台風一過、空は晴れ渡っている。真っ青よりもむしろ紺に近いくらいだった。通勤電車が何度かオーバーランして早朝のミーティングに遅れそうなこと以外は悪くない朝だった。車内では意識が高そうなネット記事をいくつか流し読みしていた。それらを読んでいるうちに、どんどん自分のモチベーションという名の風船が萎んでいき、心なしか吐き気を催してきた気がした。ほとんど無意識のうちに降車すべき駅のホームに降り立った。

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大きな黒い鳥の食欲

大きな黒い鳥の食欲

 「おとうさん、トイレ」
 早朝、もうすぐ3才になる息子が僕を揺り起した。僕は唸りながら仕方なく起き上がる。早く起きた息子に抵抗しても無駄なことを知っているからだ。窓の外からは早くも鳥の鳴き声が聞こえる。
 トイレを済ますと案の定、息子は眠れなくなったようだった。まだ寝ている妻と娘を起こさないように静かにリビングに移動する。妻は寝返りを打ったので、もしかすると彼女の意識は起きているのかもしれない。

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38歳の憂鬱。あるいは、忘れられた街路樹の名前。

38歳の憂鬱。あるいは、忘れられた街路樹の名前。

 「あなたは心の病気ではありません。脳が疲れているのです」
 専門医はそう言った。口もとと表情は柔和に見えるが、眼鏡の奥の眼は笑っていない。
 「ずーっと忙しく働かれてきて、脳が疲れちゃったんです。ほら車でもあるでしょう? オーバーヒートのようなものです。公園の脇に車停めてボンネット開けてタクシーのおじさんがよく公園で休んでるでしょう? あのようなものです。脳だって疲れたら休めることが大切なんです

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ある歯科医の秘密

ある歯科医の秘密

 私は夜になると熊になるのだが、それは大したことではない。人は誰しも秘密を持っているものだし、それが私の場合は実は熊であるということだけだ。
 熊にもいろいろいるが、私はヒグマだ。医者にはわりとヒグマ率が高い。コンビニ店員なんかにはツキノワの連中が多い。あとクロネコヤマトとか。昼は黒猫で夜は熊とか冗談かね?と私たちヒグマたちからすると格好のネタになっている。海外の動静についてはちょっとわからない。

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