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初夏の雨上がりを肴に

 雨は嫌いだ。だから、雨上がりはいい。特に、梅雨入り前、初夏の雨上がりは最高だ。25度を優に超える日々、少しずつぼくたちに夏の脅威の片鱗を与え、記憶からその恐怖と絶望を思い起こさせるまだ乾いた暑さ。これから5度以上気温が上がって、そこに湿度という悪魔も手を貸してくると思うと、途方に暮れる。

 だからこそ、5月末の雨上がりはいい。まず、雨上がりがいい。今日のように朝から晩まで降り続けた日の雨上がりの夜は至高。嫌がらせのようにしとしとと降り続けた雨がないだけで、その変化に小さな感嘆。まだ湿度が高すぎない5月の雨上がりは、気温も幾分下がる。過ぎ去った2月の寒さを思い出させる、肌を刺すような冷気が息を吹き返す。

 冬のどうしようもない切なさを、雨が運んできてくれたんだろう。1日中雨を我慢したご褒美に、低気圧による偏頭痛に耐えた祝福に、雨が大好きな冬の切なさを置いて行った。最高だ、鼻歌を混じらせながら水たまりをパシャパシャと跳ねる、空気が冷たい。鼻の奥がスッと通る。肺が目を覚ます。 

 雨は嫌いだ。低気圧に弱い人間にとって、雨というのは親の仇みたいなものだ。頭痛はつらい。それにくせ毛持ちのぼくの髪は輪をかけてうねりが増す。洗濯物も干せない。部屋干しした服は、次の日のテンションを下げるのだ。傘は江戸時代から進化してないせいで、いつも下半身はビショビショだし(扱いが下手かもしれない)、傘は7割以上の確率で忘れる。ドカベンの山田太郎の高校通算打率が7割ちょっとだから、それくらい。

 だから、雨上がりは好きだ。ずっと抱えていたモヤモヤが晴れるような、絶望の暗闇に一点の光が刺すような。昼は雲の隙間から刺す光に体が活性化させられ、水たまりと空気中の水分が反射する。夜はビルの光を乱反射させ、水たまりは街灯を写す。初夏の雨上がりは、冬の切なさを一時的に感じさせる。2年前の彼女と、当時よく使った居酒屋で飲むように。

 雨は嫌いだ。雨上がりは大好きだ。そういう意味では、雨も好きかもしれない。

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