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無職だからこそ、与えてもらっていることに気づく

無職って社会的に見たら「無能」かもしれない。

それは違うということを、この前のnoteにも書いた。

今回は無職だからこそ、肌身に感じて学んだことを伝えたい。

無職だからこそ人から与えられていることをめちゃくちゃ感じているということ。

なぜなら、何も価値を出していないから。本当に価値を出していないかどうかはさておき、社会に対して胸を張って誰かを救えているとはまったく思っていない僕が感じたこと。

何も価値を出せていない。でも、親のスネをかじっている。

基本自由にさせてもらっているけど、さすがに両親からちょくちょく言われるようになった。

価値を出していないけど、自分が信じたことをやっているつもりで、精神は落ち着いているけど、やはり現実からは逃れられない。

かといって、自分が信じたことを諦める理由にはならない。

だからこそ、今の自分を客観視できる。そして気づく。

あまりにも自分が与えられているということを。両親はもちろん、たくさんの人から与えられているからこそ、僕は今自由にできている訳で、その人らにちょんと恩返しできないのは、恥ずかしい。

でも、一方で彼らのために使う時間もそんなにないし、あまり使いたくない。だって、自分にはやりたいことがあって、その道に彼らがいるわけではないから。

だからせめて、「ありがとう。」という感謝しているという気持ちだけは示したい。じゃないと、さすがにバチが当たるよね。


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