第155話 ポール・サイモンの HEARTS AND BONES ㉔「Rene and Georgette Magritte with their dog after the war」Ⅰ~『深読み ライフ・オブ・パイ&読みたいことを、書けばいい。』
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1986年2月ⅹ日
狭山丘陵 坂本博士の屋敷
リビング
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ベ、ベルギー?
ベルギーって、ワッフルとか小便小僧で有名な、あのベルギー?
そう。首都ブリュッセルの南西50㎞に位置するモンスという街だ。
3月の中旬には渡欧する…
もう一ヶ月後じゃん!? で、いつ帰ってくるの?
少なくとも3年後… いや、5年後になるだろうか…
えっ? そんなに?
ベルギー… モンス…
「モンスの天使事件」があったところですね…
天使事件?
第一次世界大戦の戦闘の最中に、天使が地上に降りて来たんです…
天使が地上に?しかも戦争中? まさか…
破竹の勢いでドイツ軍がモンスに進攻してきた際、劣勢だったベルギー軍の前に天使たちが現われ、ドイツ軍を追い払ってくれた…
それが「モンスの天使事件」です…
集団幻覚ともデマとも言われていますが…
なんだデマか…
それにしてもパパは、そのモンスに何しに行くの?
・・・・・
もしや… OTANですか?
うむ。
オタン? なにそれ?
Organisation du Traité de l'Atlantique Nord、略してOTAN…
英語ならNATO… つまり北大西洋条約機構のこと…
ベルギーのモンスには、欧州連合軍の最高司令部があります…
はぁ? パパがNATO軍の最高司令部に?
いったい全体、何しにそんなところへ行くのよ?
この度 新設されることになったインテリジェンス部門のためだ…
西側諸国で活躍する一線級の深読みエージェントが集められ、私が統括本部長を務めることになった…
エージェントの多くは、かつての私の教え子たちだからな…
ぜんぜん意味わかんない。
なんで世界の深読みエージェントがヨーロッパに集まらなきゃいけないの?
詳しいことは、ここでは話せない…
ただ、今後数年間の間に世界は大きく変わる…
第二次大戦後の世界を二分してきた東西冷戦は、終わりを告げるだろう…
冷戦が終わる? どういうこと?
これからヨーロッパ大陸を舞台に、人類史上なかったほどの情報戦が繰り広げられる…
その最前線で私たちは、情報収集・分析・深読みに当たることになったのだ…
そ、それって危ない仕事じゃないの?
スパイとか諜報活動ってことでしょ?
007の映画みたいに、命を狙われたり…
その心配はしなくていい…
実際に現場で情報収集や工作活動に当たるのは若い者たちだ…
私のような年寄は本部に籠って、ひたすら深読みをするだけ…
それならいいんだけど…
・・・・・
でも、深読み探偵学校はどうするの?
4月から岡江クンが入学することを、パパは誰よりも楽しみにしていたじゃない…
・・・・・
世界の安定と平和のために、私の深読みの力が必要とされた…
これほど名誉なことがあるだろうか…
そう思わんかね、岡江君…
はい…
学校のことは何の心配もない。
私が鍛え上げた優秀な講師陣が揃っている。私がいなくても全く問題はないだろう…
これまで以上に、しっかり勉学に励むのだぞ。
そして立派な深読み探偵になってくれ…
はい… 坂本博士…
深夜
屋敷の廊下
それにしても急なことでビックリしちゃった…
でもこれは、深読み探偵 岡江 門 を未来に存在させないために仕組まれた作戦じゃないみたいね…
坂本博士がいなくても深読み探偵学校は存続し、岡江ッチも4月には入学する…
すべては順調よ…
ん? 博士の書斎のドアが開いてる…
こんな夜更けに、どうしたのかしら…
書斎
ブツブツブツ…
(ん? テープレコーダーに向かって何か喋ってる… 録音してるの?)
このテープは、私に万が一のことがあった時のために残しておくもの…
つまり、君たちがこのテープを聴く時には、私はもうこの世にいない…
(えっ!?)
繰り返すが…
彼は、希望… 彼は未来の希望なのだ…
(未来の… 希望…?)
このテープに録音された様々な事実は、内容が内容だけに、彼がじゅうぶん大人になってから伝えたほうがいいだろう…
深代、佳世実、そして沢尻君…
私の亡きあと、彼のことは頼んだぞ…
どうか彼を支え、未来へ希望をつないでくれ…
1986年2月X日…
坂本金一…
ガチャ
(いったい何なの、これは…)
翌日
では行って来る。帰りは遅くなるから夕食は必要ない。
かしこまりました…
それではいってらっしゃいませ…
博士の書斎
デスクの引き出しの鍵は…
たしか… 本棚の本の裏側に隠してたはず…
えーと… このあたりだったかな…
あっ!あった!
カチャ
(デスクの引き出しを開ける)
ビンゴ…
この maxell のカセットテープで間違いない…
博士は昨夜、いったい何を録音してたのかしら…
さあ、聴くわよ… ドキドキするわね…
23分後
マジで…?
なんてことなの…
2019年9月19日
スナックふかよみ
では、次の曲に行きましょうか…
(深読み探偵 岡江 門は、まだこの世界に存在している… あたしの中の思い出も、まだそのまま…)
8曲目は『Rene And Georgette Magritte With Their Dog After The War』…
ルネとジョルジェット・マグリット…
犬と共に… 戦争の後に…
(T-NK800は何をしてるの? いったい過去で何が起きてるというの? このままじゃ… このままじゃ、あたしの決意が… )
変なタイトルの曲ね。
マグリットって、あの有名なマグリットでしょ?
そう。シュルレアリスムで有名なベルギーの画家、ルネ・マグリット。
ポール・サイモン曰く…
歌手仲間のジョーン・バエズの家に遊びに行った時、バエズが長電話から戻って来ないので本棚を漁っていたら面白そうな写真集を見つけ、その中にルネ・マグリットと妻ジョルジェットが犬と一緒に映ってる写真が2枚あり、そこからインスピレーションを得たという…
1枚は、第二次世界大戦中に撮られた『Rene And Georgette Magritte With Their Dog During The War』という写真…
もう1枚は、晩年にベルギーの自宅で撮られた写真…
ジョーン・バエズの家でたまたま手にした本の中の2枚の写真から着想した?
いつのことなのかしら? なんだか、とってつけたような話だわ。
ちょっと嘘っぽい…
どこまでが本当なのかはわからない。
人を煙に巻くのが大好きなポール・サイモンのことだからね。
(ふう… 仕方ないけど、こうするしかない… これで本当にお別れね… さよなら、深読み探偵 岡江 門…)
御婦人、どうかなされたか? ずいぶんと浮かぬ顔をしとるが…
いえ。なんでもないわ…
ちょっと大事な仕事のこと、思い出して…
そうかそうか。大事な仕事か…
ふぉーっふぉっふぉ。
それではまず、曲を聴いてみましょう。
ミュージックビデオの中のラブラブカップルって、ポール・サイモンとキャリー・フィッシャーよね?
その通り。
1984年に発表されたこのMVでマグリット夫妻を演じてるのは、1983年の8月に結婚したばかりだったポール・サイモンとキャリー・フィッシャー。
しかしこの直後に二人は別れてしまう。
だからこれが最初で最後の「共演」ということ…
いろんな意味で特別ですね…
曲自体も特別なものだと言える。
アルバム『HEARTS AND BONES』は全く売れなかったんだけど、この曲だけはファンの間で非常に人気があるんだ。
数あるポール・サイモンのソロ作品の中でも、代表曲としてあげられるくらいに…
もちろんポール・サイモン自身もかなり気に入ってるようで、2018年に発表されたセルフカバーアルバムでもこの曲を取り上げ、クラシック風にアレンジしていた。
でも、かなり変な歌じゃない?
歌詞の意味が全然わからないわ。
そうなんだよね。
この曲は名曲とされるけど、歌詞がかなり変わってる。
1番では、ホテルの部屋で服を脱ぎ捨てたマグリット夫妻が月明かりの中で踊り…
2番では、ニューヨークの街をウィンドウショッピングしていたマグリット夫妻が紳士服店のマネキンを見て涙を流し…
Cメロでは、一緒に眠っていたマグリット夫妻が溶け合ってひとつになり…
3番では、謎の男がマグリット夫妻の寝室の机の引き出しを開け、夫妻が隠していた秘密を覗く…
そして毎回、4つの黒人ドゥーワップグループの名前「ペンギンズ、ムーングロウズ、オリオールズ、ファイブ・サテンズ」が挙げられ…
「ルネ&ジョルジェット・マグリット、犬と一緒に、 戦争の後に」というフレーズが繰り返される…
うーむ。何でしょうか、このストーリーは…
なぜマグリット夫妻はホテルの部屋で裸で踊ったのでしょう?
なぜ紳士服店のマネキンを見て涙を?
夫妻が机の引き出しに隠していた秘密とは?
そしてそれを覗きに来た男とは?
それに4つのグループも何か意味がありそうです…
ケツヤさんがいたら間違いなく「わけわかめ!」って言ってたわね。
誰でも言いたくなるじゃろう。
わけわかめ!
ふぉーっふぉっふぉ。
確かに、僕の中でも長年この曲は「わけわかめ」だった…
教官でも手こずる歌があるのですね…
しかしすでに、この謎めいた歌詞の答えを…
夫妻が引き出しに隠していた秘密も、それを覗いた男の正体も、御存じなのですね?
もちろんだとも。
僕も以前は何のことを歌っているのかよくわからなかったけど、映画『ライフ・オブ・パイ』を観て、それからヤン・マーテルによる原作小説を読んで、全ての謎が解けた。
また『ライフ・オブ・パイ』なの?
そう。だってポール・サイモンは、主人公パイのモデルだから。
この歌も、もちろん「パイの物語」の中で再現されている。
ますますわけわからない。
とりあえず1番から歌詞を見ていきましょ。
歌詞はコチラです…
1番はこんなふうに始まる。
Rene and Georgette Magritte
With their dog after the war
Returned to their hotel suite
And they unlocked the door
ルネ&ジョルジェット・マグリット
犬と一緒に、 戦争の後に
ホテルのスイートルームに戻り
ドアの鍵をあけた
ここまでは特に何も起こりません。
だね。問題はここからだ。
Easily losing their evening clothes
They dance by the light of the moon
To the Penguins
The Moonglows
The Orioles
And the Five Satins
イブニングドレスを脱ぎ捨てると
二人は月明かりの中でダンスする
ザ・ペンギンズ
ザ・ムーングロウズ
ジ・オリオールズ
そしてザ・ファイブ・サテンズに合わせて
二人は裸で踊りはじめました…
4つのドゥーワップグループの曲に合わせて…
何か別の意味が隠されているんでしょ?
うん。もちろん。
それじゃあグループ名に秘密があるのかしら?
ペンギンはペンギン…
ムーングロウは月光…
オリオールはボルチモアの野球チームで有名な鳥ムクドリモドキ…
そしてサテンは、カラフルで光沢のある生地…
何かわかった?
いえ。全然。
そして1番は、こう締めくくられる。
The deep forbidden music
They'd been longing for
Rene and Georgette Magritte
With their dog after the war
心の奥底に封印されていた音楽
二人がずっと思い焦がれていた
ルネ&ジョルジェット・マグリット
犬と一緒に、 戦争の後に
あの4つのグループの曲が禁じられていたのですか?
その封印を解いて、夫妻は踊った?
意味不明。ていうか、そもそも時代的にズレてない?
マグリットは19世紀末の生まれで、亡くなったのが1967年でしょ?
なんで六十過ぎてアメリカの50年代の音楽を隠れて聴いてるの?
しかも奥さんと裸で踊りながら…
深代ママの指摘の通り、この曲は、歌詞の中の時代が合っていない。
晩年のマグリット夫妻がフィフティーズのドゥーワップを聴いていたという記録は無いし、そもそも隠れて聴く必要もない。
つまりポール・サイモンの創作ってことね。
そう。ポール・サイモンは「ある目的」のために、こんな歌詞を書いたんだ。
ちなみに、これが登場する4つのグループ…
みんな有名なの?
もちろん。
数ある黒人コーラスグループの中でも、トップクラスの知名度を誇る4組だ。
まず最初に名前が出るのは、ザ・ペンギンズ。
彼らの代表曲といえば、何と言ってもこれ…
地上に降りた天使へのラブソング『Earth Angel』…
あっ!この曲!
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のダンスパーティーで、バンドが演奏してた曲だわ!
それにしてもなぜ「ザ・ペンギンズ」なのでしょう…
しかも有名な黒人コーラスグループなら、この4つ以外にもたくさんあります…
確かにそうね…
ザ・プラターズ、ザ・ドリフターズ、ザ・キング・トーンズ、シャネルズ…
最後の2つは違います。
最初に「ザ・ペンギンズ」の名前が出されることにも、深い意味があるんだよ。
え? 選出されたことだけでなく、歌われる順番にもですか?
そう。ポール・サイモンは本当に面白いことを考える…
数あるドゥーワップグループの中から「ザ・ペンギンズ」が選ばれて…
しかも最初に名前が出される理由…
なにかしら?
うーん… いくら考えてもわかりません…
ご教授ください、教官!
わかった。それではタネ明かしをしよう…
ポール・サイモンが「4つのグループ」の最初に「ザ・ペンギンズ」を挙げた理由とは…
その理由とは…?
その理由とは…
えーと…
?
・・・・・
あれ…? 変だな…
教官、どうしました?
思い出せない…
お、思い出せない?
おかしいな… なぜだか深読みが…
深読みが…
出来ない…
きょ、教官が…
ふ、深読みできない?!
お、岡江クン!?
・・・・・
・・・・・
(つ、ついに恐れていたことが… やはりあの金色の男が、過去で何かを…)
つづく
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