日の名残り第67話

「シヴァとリンガとハイファイセット」~『夜想曲集』#2「降っても晴れても」~カズオ・イシグロ徹底解剖・第67話

し、シヴァ!?

そう。多くのヒンドゥー教徒に最高神として崇められているシヴァだよ。

イシグロ&土屋政雄氏ふうに言えば「ヒンズーのシバ」だね。

第2話のタイトル『Come Rain or Come Shine』っていうのは、主人公レイモンド(愛称レイ)が「シヴァ」であることのジョークでもあるんだよね。

『Come Ray or Come Shiva』なんだよ。

前回を未読の人は、こっちを先に読んどいたほうがいい。

ど、どゆこと?

小説の最初のほうで、レイモンドの甥の話が出てきたでしょ?

「アルゼンチンタンゴ」や「エディット・ピアフ」を聴くと同時に、今どきの「インディーズバンド」も聴く雑食性の甥か?

そう。冒頭に出て来る4曲と同様に、これら3つの音楽は物語のラストを暗示させるようになっているんだ。

暗示?

「アルゼンチン・タンゴ」は、映画『コンチネンタル』を想起させるためのものだろう。

フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの名コンビ初の主演作だね。

Fred Astaire & Ginger Rogers 
《Night And Day》The Gay Divorcee, 1934

「アルゼンチン」って南米でしょ?

なんで「コンチネンタル(欧州大陸)」が関係あるんだ?

タンゴには大きく分けて2つの流れがあるんだよ。

発祥の地アルゼンチンで発達した、アルゼンチン・タンゴ。

そしてヨーロッパ大陸で発達した、コンチネンタル・タンゴ。

日本では1920年代後半から1930年代にかけて「コンチネンタル・タンゴ」が大流行した。カフェー文化や社交ダンスのブームにマッチしたんだね。

だからアステアとロジャースの初主演作が日本で公開された時、タンゴも欧州大陸も全然関係ないのに「ダンスシーン」があるというだけで邦題を『コンチネンタル』とされてしまった。

本当は『The Gay Divorcee(陽気な離婚)』というタイトルなのに…

ゲイ・ディボース!?

コール・ポーターの代表作やんけ!

そうだよ。ゲイであったポーターが自虐ジョーク満載で書いた名作ミュージカルだ。

アステアはブロードウェイ版に主演して大ヒットさせた。そしてハリウッド本格進出にあたり、このミュージカルの映画化を望んだ。

だけどストーリーやポーターの書いた歌の風刺やジョークがキツ過ぎて、大幅に変更せざるを得なかったんだ。

男が一目惚れした人妻を「仕組まれた浮気」を使って離婚させるという物語だからね。しかも「同性愛」を匂わせる描写もあった。

それってまさか…

きっと少年時代のイシグロは、このミュージカル映画『コンチネンタル』が大好きだったに違いない。

お母さんがたくさん持っていた古いミュージカルのレコードコレクションの中にもあったんじゃないかな?

そしてイギリスに渡って、英語を覚え、映画の真実を知り、こんなふうに思ったはずだ。

「どうなっとーと、この映画ば邦題は!コンチネンタル全然関係無かとね!舞台はロンドンとブライトンばい!イギリスは大陸じゃなか!島げな!いっちょんわからん!ホワイ、ジャパニーズピーポー?」

長崎弁あってるの?

そういや、小説のテラスでのラストシーンと、映画『コンチネンタル』のラストシーンはよう似とるな。

テラスには周りに植物の鉢が置いてあったと書かれとるけど、アステアとロジャースが踊るところも周りに植木鉢が置かれとる。

イシグロは映画のストーリーの要素も小説に取り込んでるっぽいんだ。

つまり、主人公とヒロインの「不倫」関係もね…

ええ!?

だって、ラストシーンで「フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースみたいに」って言うのは、明らかに『コンチネンタル』の二人の結末を暗示させるものなんだ…

旦那をどこかに追いやって、二人が結ばれるという結末を…

多分そうだろうな。

そして「エディット・ピアフ」…

これも主人公レイモンドとエミリの「不倫関係」を暗示してる…

何で?

ピアフは自由な愛の人だから?

ピアフといったら、この歌だからね…

Edith Piaf《Non, je ne regrette rien》

映画『インセプション』で流れた『水に流して』!

その通り。

『インセプション』で、夢の世界から現実に戻る時の合図に使われた曲だ。

「これまでのことは水に流して、やり直しましょう」という歌だね。

建築デザイン科の女子大生アリアドネは、実はディカプリオ演じる主人公ドム・コブの妻モルの夢の中の「偽装」だった。モルはアリアドネの他にもサイト—も演じていたね。

「モル=アリアドネ=サイトー」の一人三役なんだ。

だからこの歌が選ばれたんだよ。夢の中のドムへの潜在的メッセージとして。

「過去(浮気)のことは早く忘れて」というメッセージだね。

クリストファー・ノーランはあの映画で歌ネタや絵画ネタを駆使していた。

様々な有名絵画のモチーフが登場する。あと宮崎駿作品もね。

イシグロとノーランはよく似てるんだ。大事なことは絶対に語らないところとかも。

イシグロはボブ・ディランだけど、ノーランはビートルズだったな。

そして問題の「インディーズバンド」だ。

これは「インド」を暗示させるためのものだったんだね。

なぜインド!?

1960年代後半から70年代にかけて多感な時期を送った人間にとって「インド」は切っても切れないだろう。

知識人やミュージシャンは、長髪に髭を伸ばし、こぞってインドに傾倒した。

それに憧れる者たちも、こぞって真似をしたのだ。

イシグロの青年時代を忘れたか?

ああ!そうだった!

小説の中でイシグロは、主人公レイモンドに「プログレッシブロック」を聞く「ヒッピー」みたいな若者をディスらせた。

それと「カリフォルニアのシンガーソングライター」にかぶれる連中のことも。

これって、そのまま70年代のイシグロ自身のことなんだよね。つまり「自虐ギャグ」だったわけだ。

さらにレイモンドに「今どきの若者が好むドラッグは、自分たちが昔やってたのとは全然違う」と言わせてる。

あの当時、ロン毛&ヒゲ姿でミュージシャンを目指してたイシグロが、インドやヨガブームと当時のドラッグカルチャーと無縁だったとは考えにくい。

レイモンドは、まさにイシグロ自身の投影なんだ。

まあ当時の欧米の大学で、そこらへんと無縁でいられるほうが奇跡や。

そして「インディーズ」は、この物語の中で重要なモチーフとして現れる。

それが「鍋の中に立てて煮込まれるブーツ」だ。

ハァ!?

なんでこれがインディーズ?

これのことなんだ。

り、リンガとヨーニ!?

なにこれ?

あんなに鍋から突き出てたら、全然煮込めないじゃん。

突き出ていることに意味があるのだ。

あれは男根…いや、シヴァ自身なのだからな。

へ?

そして鍋っぽく見える「ヨーニ」が女性器なんだよね。

じょじょじょ…

保健体育の時間だと思って聞いてくれ。

お、OK!

シヴァは破壊と再生の神なんだ。

シヴァと妻である女神パールヴァティが世界を再生する時の様子を「リンガとヨーニ」として表現しているんだね。男性器と女性器が交合する形として。

そしてこの交合から凄まじいエネルギーが生まれ、世界へと注がれる。

こうして世界は作られるとヒンドゥー教では考えるんだ。

だからイシグロは、ぐつぐつ煮込んで蒸気を発生させたのか…

あれは男女の結合エネルギーを表していたんだ…

せやから「キャベツ」や「カレー臭」やったんか!

エミリは職場から慌てて帰ってきて、汗だくやったさかいな!

どゆこと?

欧米では女性器が「キャベツ」に喩えられるんだよね。

文豪ヘンリー・ミラーの代表作『南回帰線』でも「キャベツ女」が登場する。

ヘンリー・ミラー『南回帰線』(@Amazon)

昔「キャベツ畑人形」っちゅうのも流行ったな。

「赤ちゃんはキャベツから生まれる」っちゅうヨーロッパの古典的な性教育をネタにしたキモい人形やった。

あったあった!

しかし改めて見ると「そのまんま」のロゴだよな…

キャベツの真下の花はいらんだろ(笑)

カレー臭は?

そこは後で説明するよ。なるべく刺激の少ないように…

さて、次は「破壊の神」としてのシヴァ。

世界を破壊する時のシヴァは、ナタラージャ(踊りの王)と呼ばれる。

シヴァと女神パールヴァティの踊りによって、世界は破壊されるんだ。

まさにレナード・コーエンの『哀しみのダンス』だな。

Leonard Cohen《Dance me to the end of love》

せやからレイモンドとエミリは最後に踊ったんか!

あれは「破壊」のダンスやったんや!

「破戒」でもあるな。

破壊と破戒?

もしかしたらチャーリーは、現状を「破壊」するために、レイモンドとエミリを二人っきりにしたかもしれないんだ。

レイモンドのロンドン滞在期間に、わざとドイツ出張を入れてね。

「現状」を破壊?

歯科医の若い女と一緒になるためか?

しかしチャーリーは肉体関係は一切ないと言っていたはず…

そりゃ「ない」と言うだろうね。

もし本気で離婚を考えていたら…

エミリが先に「浮気」してくれたほうが、何かと好都合だよな。

レイモンドは結局ユダみたいに利用されるってことか!

「裏切り者」として!

だね。

チャーリーは「被害者」になれるわけだ。出張中に妻に浮気された可哀想な夫にね。

彼が涙を見せた理由は、ここにある。

泣いたのはエミリのためではない。そして自分の不甲斐無さにでもない。

何も知らず、この「汚れ役」を引き受けてくれたレイモンドに対する「罪悪感」に、思わず涙を流してしまったんだよ。

だからフレッド・アステアとジンジャー・ロジャースの『The Gay Divorcee(陽気な離婚)』なんだな…

すべてはチャーリーがエミリと離婚するための策略だったわけか…

すっかりオバサンになった今のエミリでは、他の男は中々喰い付いてくれない。

だからレイモンドに白羽の矢が立ったんだね。

自分の不在中でも自宅に泊めることができるのはレイモンドくらいだし、何と言っても「前科」があった。

30年前の「前科」がね…

「焼け木杭には火が付き易い」っちゅうやつやな。

まだチャーリーとエミリが付き合い始めやった頃、レイモンドはエミリの部屋に入り浸っておった。

18、19の男女がしょっちゅう二人っきりで部屋におって、何もなかったっちゅうことは考えられへん。

そんなことわからないじゃん!

「男女間の友情」だってあるし、「やれたかも」で終わってる可能性だってある!

そうゆうのは団塊ジュニア以降の「失われた20年」世代のハナシや。

1954年生まれのイシグロの世代は「据え膳食わぬは男の恥」世代やで。

「やれたかも」とか悠長なこと言っとる暇なんかなかったんや!

ちなみにシヴァには「教師(グル)」という側面もある。

シヴァは、リシと呼ばれる賢者たちと「音楽議論」をし、ヨガや哲学の知識を授ける教師なんだよね。

ほら、ギターみたいな楽器を持ってるでしょ?

わお!

だからレイモンドは語学「教師」だったのか!

そしてエミリと「音楽議論」をしてた理由も!

ちなみに教師状態のシヴァは「ダクシナムルティ」と呼ばれるんだけど、これはサンスクリット語で「南に向かう人」という意味なんだ。

レイモンドはスペイン在住の語学教師だったよね。

イギリスから見たら、まさに南…

これはもう間違いないな…

イシグロの投影である主人公レイモンドは「ユダ」であり「シヴァ」だったんだ!

それだけじゃないよ。

レイモンドとエミリの関係は、ギリシャ神話のネタも引用されている。

ギリシャ神話も!?

最初にレイモンドがロンドンの家に入った時、部屋はぐちゃぐちゃで「ラウドスピーカー」や「フロアスタンド」が横倒しになっていた。

「ラウドスピーカー」ってのは、こういう大きめのスピーカーだな。

MACKIE/マッキー SRM750(@Amazon)

いったんは清掃されて元通りになるんだけど、レイモンドの「偽装工作」で再び倒される。

そしてエミリが帰ってきて、レイモンドは元通りにしようとするんだけど、エミリはそれを「なぜか」止めた。

確かに止めたね。

なんでだろう?

倒れた「ラウドスピーカー」や「フロアスタンド」を元通りにしようとするのを「止める」って、これのことなんだよ。

《Theseus and Aethra》Laurent de la La Hyre

確かに男がラウドスピーカーっぽい柱を元通りにしようとしてるのを女が止めてるっぽい!

むっちり系なところも、40代後半のエミリそのものだよな。

この肉付き豊かな女の名は「アイトラー」。

男のほうは息子の「テーセウス」だ。

テーセウスっちゅうたら、アテナイ(アテネ)の国民的英雄やんけ。

クレタ島の迷宮にアリアドネの糸玉で侵入し、怪物ミノタウロスを倒したんや。

そうだね。

クリストファー・ノーランの『インセプション』でも使われたモチーフだ。

『夜想曲集』第2話では、テーセウスではなく母親の「アイトラ—」と父親のアテナイ王「アイゲウス」が重要なモチーフになっている。

アイトラーとアイゲウス?

そう。

テーセウス誕生にまつわるネタが使われているんだよね。

そもそもテーセウスの父であるアテナイ王アイゲウスには「子種」が無かった。

正妻だけでなく第二夫人も置いたんだけど、子供が授からなかったんだ。

そういやチャーリーとエミリ夫婦も子供が出来へんかったんやったな。

「名付け親」になって欲しいと言われとったレイモンドは「裏切られた気分」になっとった。

そうだったね。

さすがにアイゲウスは王だったんで、世継ぎが出来ないとマズい。

そこでポイボス・アポローンを祀る神殿がある山デルポイへ向かった。御神託をもらいにね。

だけどその神託は、アイゲウスには意味が分からないものだった。

「酒袋の突き出た口をアテナイに戻るまで解いてはならない」

悩みながらアイゲウスは帰路に就く。

酒袋?

昔は酒を皮袋に入れていたんだ。

まだビンが無い時代だからね。

なるほどね!

あの「突き出た口」を閉めたままアテナイまで帰れってことか!

でも、どゆこと?

なんで「子種」と関係あるんだ?

この神託は「比喩」になっていたんだ。

「酒袋」とは「玉袋」のことなんだよね。

あの「縫い目」が「筋太郎」やな。

それオイラも言おうと思ってたのに!

アポロンの神は、空っぽだったアイゲウスの「酒袋」に「酒」を入れてくれたわけだ。

つまり「子種」を「装填」してくれたわけだな。

だから「突き出た口」の栓を、アテナイで待つ妃のもとへ帰るまで開けるなと言ったのだ。

「一発勝負」だから「無駄打ち禁止」って意味でな。

アテナイへ帰る途中、アイゲウスはトロイゼーンという都市国家へ立ち寄る。

そしてアイゲウスは、トロイゼーン王ピッテウスに神託のことを話した。ピッテウスは即座に神託の意味を理解する。だけどそれを告げず、アイゲウスにたっぷりと酒を飲ませ、酔い潰した。

その夜、ピッテウスはアイゲウスの寝所に、娘のアイトラーを送り込む。

自分の娘に「種付け」させて、アテナイの王子を産ませようと考えたわけだ。

そうすれば弱小国トロイゼーンは強国アテナイと婚姻関係を結ぶことになるからね。

酒をしこたま飲ませて「酒」をいただいちゃう作戦だったのか!

ピッテウスの策略通り、アイトラーは妊娠する。

そして生まれたのが、後の英雄テーセウスだ。

アイゲウスは、アイトラーとテーセウス母子にトロイゼーンに留まるように言った。もしアテナイの妻たちや親族に知れたら、母子の命が危ないからね。

そしてアイゲウスは大きな石柱の下に自分の剣と靴を隠し、「テーセウスがこの石柱を動かせるくらいに成長したら、剣と靴を持ってアテナイに来い」とアイトラーに告げた。

それくらい強くなれば、後継者争いでもライバルに打ち勝てると考えたわけだ。

あの絵は、成長したテーセウスがついに石柱を持ち上げ、父の剣と靴を手にするシーンなんだね。

へえ~!

やっぱり「靴」が重要アイテムとして出て来るんだ!

さて、レイモンドがチャーリーに言われた通りブーツを煮込み、犬の真似をして雑誌を噛んでいるところにエミリが帰宅する。

その姿と部屋の惨状を見て、エミリは呆然とした。

だけどここから「第3」の物語が展開する。

レイモンドとエミリによる「官能」の世界だ。

官能!?

エミリの帰宅からのシーンは、完全に官能小説になっているんだ。

二人の「交わり」を、あの手この手で描写しているんだな。

『日の名残り』で執事スティーブンスが「銀食器磨き部屋」で「読書」しているところへ女中頭ミス・ケントンが入ってきて「接触」した時と同じ手法と言える。

それのロングバージョンだ。

ええ!?

「犬ごっこ」あたりから空気が怪しくなるんだけどね…

「犬の噛み方テクニック」を試行錯誤するあたりから、「あっち」の話になっていくんだよ…

どーゆーこっちゃ!?

具体的に説明せえ!

四つん這いになって雑誌に噛みつくという「人に見られてはいけない姿」をエミリに見られてしまったレイモンドは、あれこれ言い訳をする。

だけどエミリはそれに関して何も言わず、優しくこんな風に語り掛ける。

「今夜は二人でのんびりしましょう。お願い。座ってよ、レイモンド。お茶にしましょう」

ここからレイモンドとエミリの約30年ぶりの「交合」が始まる。

怪しい部分を強調しておくよ。

 そう言いながら、エミリはもうキッチンに向かっていた。ぼくはフロアスタンドの笠を調節していて、キッチンに何があるかをうっかりしていた。そして、思い出したときはもう遅かった。エミリの絶叫を予期して身構えたが、物音は何もなかった。ぼくはランプの笠を置いて、キッチンの戸口から覗いてみた。

なんかヤバい感じなんで、オイラ寝たふりしてるね!

それがええな。

「キッチン」とか「戸口」とか、モロや。

言われてみれば、そうだな…

何で最初に気付かなかったんだ…

しかも「フロアスタンドの笠」って…

だからイシグロは、スタンドを倒したり立てたりしてたのか…

ここで重要なのは、レイモンドが倒れていた「スタンド」を立てて、そこに「笠」を付けようとしたが、途中で諦めて「笠」を置くところにある。

自信喪失気味の47歳中年男だから、仕方のないことだな。

年は取りたくないものだ。

説明はいらないかもだけど「キッチン」とは、女性器の隠語だよね。

「戸口」は、その入り口だ。

『日の名残り』でも執事スティーブンスは「戸口のアーチの下」でダーリントン卿の指示を待っておった。

あれも二人が肉体関係にあることを表しとったよな。

レナード・コーエンの名曲『ハレルヤ』もそうだった…

「キッチン」と「アーチ」で女性器を表現していたっけ。

その通り。

ジェフ・バックリィがカバーして大ヒットさせた時、レナード・コーエンはこう言った。

「素晴らしい。でもエロ過ぎる」

ジェフ・バックリィ版は、かなり際どい歌詞だったからな。

歌い方もヤバかった。

それではジェフ・バックリィで『ハレルヤ』を…と行きたいところだけど、もう何度も紹介したから聞き飽きたよね。

というわけで、バルセロナの天才少女アンドレア・モーティスのバージョンでどうぞ。

Leonard Cohen《Hallelujah》
by Andrea Motis & Joan Chamorro Quartet

これだけ男女の交わりについて歌っているのに全然エロく聞こえないところが芸術作品たる所以だ。

イシグロもそうですね…

さて「キッチン」では「鍋」がぶくぶくと泡立っており「異臭」を発していた。

カレーのようでもあり、長いハイキングのあとにブーツを脱いだ時の足の臭いのような…

エミリは「異臭」を放つ「こんろ」「鍋」を覗き込む。

レイモンドは目の前の「砂糖壺」をまじまじと見る。

そして「日記帳」「皺くちゃ」になったことを説明するために、エミリに「皺」を伸び縮みさせて見せる…

「でもね、すべては君のこの日記帳から始まったことなんだよ。ここにあるこれ…」ぼくは皺になったページを開き、エミリに見せた。「(中略)うっかり開いて、うっかり握って、皺にしてしまった。こんなぐあいに…」ぼくは攻撃性を少し加減して同じことをやってみせた。

「キッチン」「鍋」「こんろ」「砂糖壺」「日記帳のページ」は、すべて同類だな。

ほんまエロいな。

星野源の『桜の森』とたいして変わらんやんけ。

星野源《桜の森》by 倉持忠彦

レイモンドが「皺」を伸び縮みさせても、エミリは全く反応しない。「で?」といった感じだ。

レイモンドは動揺する。チャーリーから「エミリは大爆発するぞ」って言われてたのに無反応だったから…

切ないな、レイモンド…

「ハウツー本」で必死に覚えたテクが、ベテラン温泉芸者に全く通用しなかった童貞君みたいだな。

焦ったレイモンドは、チャーリーから聞いた「金玉鋸挽きの刑」の件を話す。

エミリの日記帳を覗き見たら金玉鋸挽きの刑にすると言われた話を。

だけどエミリは「それは違う」と言う。

チャーリーが「自殺」をほのめかすから「それなら睾丸を鋸で挽いてやる」と答えただけなんだと…

この部分も不自然やったよな。せやけどこれで腑に落ちたわ。

「自殺」っちゅうのは「自慰」のことやったんやな。

せやからエミリは「そんなことするんだったら金玉を鋸挽きにする」って言うたんや。

自慰行為は自殺と同様にカトリックでは罪とされているからな。

レイモンドは「自慰」と「金玉」ネタに喰い付くが、エミリはサラリと流す。

厨二か!

そしてレイモンドは居間へ移動し、ソファーに仰向けになる。

エミリも後を追って来た。

ここからが重要なシーンになるんで小説を引用する。

やがて、エミリが部屋に入って来た。そのまま廊下に抜けていくのかと思ったが、そうではなく、向こう側の隅にしゃがみ込んだ。ハイファイ装置をいじってるとわかった。次の瞬間、居間に官能的な弦楽器と憂鬱なホルンが鳴り響き、サラ・ボーンが《ラバーマン》を歌っていた。

「向こう側」に「しゃがみ込む」のは『日の名残り』のミス・ケントンと同じパターンや!

ってことは…

「ハイファイ装置をいじる」とは…

ここで「ハイファイ装置」という言葉を使ったことが活きるんだね。

「ハイファイ」とは「High Fidelity(高忠実度、高再現性)」という意味だった。

つまり、エミリが「いじった」ことにレイモンドが「高い忠実度」を示したということなんだ。

さっきは自分で「笠」を装着させようとしたが、「忠実度」が不十分で諦めざるを得なかった。

レイモンドはホンマに47歳か?

どう見ても17歳やろ。

あの頃とホントに変わってないんだよ、レイモンドは。

たぶん30年前もエミリにリードされていたはずだ。

しかし男性器を「ハイファイ装置」に見立て「官能的な弦楽器」って表現するとは、さすがノーベル文学賞作家だ。格調高い。

ちなみにwikiで「弦楽器」は、こう説明されている。

弦に何らかの刺激を与えることによって得られる弦の振動を音とする楽器の総称である。弦の振動を得るために、弦とそれを張力をもって張っておく装置を備え、多くの場合は得られた音を共鳴させて音を拡大するための装置を持つ。

やるな、イシグロ!

そんでもって「ホルン」っちゅうのは、いわゆる我々日本人の言うところの「尺八」やろ!

レイモンドは解放感と安堵感に包まれる。

目を閉じて、『ラバーマン』のゆったりとしたリズムに合わせ、「首」をゆっくりと前後した…

また出たな「首」!

『日の名残り』の時と同じやんけ!

『ラバーマン』とはエミリのことだな。

レイモンドはエミリの「ゆったりとしたリズム」に合わせて「自分の首」を動かしていたのだ。

俺は『ラバーマン』って、こっちのことかと思った…

てっきり「rubber man」かと…

僕も最初そっちかと思ったんだけどね…

レイモンドは自分で装着しようとして失敗してるから…

だけど『ラバーマン』や『パリの四月』の歌詞を見る限り、やっぱり「つけてない」という判断をせざるを得ない…

ら、『ラバーマン』と『パリの四月』の歌詞!?

そう、あの2曲はどっちも「そういう」歌なんだ。

ずっと「男日照り」だった女が「恵の雨」を求める歌なんだよ。

この絵みたいにね…

Gustav Klimt's 《Danaë》

く、クリムトの『ダナエ』!?

第2話のタイトルが『Come Rain or Come Shine/降っても晴れても』になったのは、この意味がメインだろうな。

だからやっぱり「つけてない」と判断するしかない。

でないと、この2曲を使う意味が薄れるからね。

マジか!?

あの2曲って、そんな意味の歌詞だったっけ?

そこを解説して、第2話はお終いにしよう…



——つづく——



『夜想曲集』(@Amazon)
カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳


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