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ぼくに親しい人ができにくい理由

毎年、2月が長く感じます。寒い地域だからでしょうか。
もう少し暖かい地域なら、この長さを考えることもなくなるんでしょうか。

今日は、「ぼくに親しい人ができにくい理由」という話をします。


親しい友人っています?

早速なんですが皆さん、親しい友人っています?
その人ってどのくらい親しいですか?

僕は片手で数えられるくらいにしか、なんとなく思い当たる人っていないんですよ。でも正直、「ほんとうにその数人の友人と親しいと言える自信があるのか」と問われると、なかなか頷けなさそうなんですよねぇ。


そもそも「親しい」ってなに...?

というのも、「親しい」ってなんか曖昧な感じがしません...?

どのくらい話せたら親しいのか、どのくらい時間を共有したら親しいのか、どのくらいのことを許せたら親しいのか、どのくらい笑えたら親しいのかetc...

自分が心から楽しく過ごせて相手も楽しそうならそれは「親しい」という認識でいいはずなんですけど、僕は時々一人で素面に戻ってしまって。


常にこめかみに当たる銃口


例えば楽しくご飯を食べたりしているときに、「今日のこの時間までは良好な関係かもしれないけれど、自分が何かよくないことをしてしまったら、全部が水の泡になってしまうんじゃないか」みたいに考えてしまうんですよね。

だから無意識のうちに、人との距離を詰めないようにする癖が出てしまって、いつまで経っても関係が深まらないんですよね。

誰かと話すときはどんなときも、常にこめかみに銃を突きつけられながら話しているような緊張感があって。「僕がなにかしくじれば、すぐにこの銃が僕の人生を粉々にするのだ」みたいな感じで。
その結果、楽しく話せているのに悲しくなってきたりしてしまう。

提供できる価値が自分にない

あと、「自分が相手に提供できる価値を持っていない」と強く思ってしまうことも大きいかもしれません。僕はこれといって「相手になにかしてほしい」とは思ってないんですけど、自分だけはなぜか「自分みたいな人間は、せめて接する機会に提供できる価値がないと存在している意味なんてないのだ」と考えてしまうんですよね。

ただそこにいるだけで周りを笑顔にしたり明るくできる人は素晴らしいと思うんですが、それがどうも自分だけは「生まれつき上手に出来やしないんじゃないか」と思ってしまうわけです。

だから人との関係を維持しながら深めていくことが、恐いんですよね。
そして更にひどいことに、「人との関係を深められるような人間力の高い人」も恐いんですよ。こりゃひどい。笑

なので継続的に人に求められない限りは、「自分なんて別にいなくても、この人には代わりなんていくらでもいるのだ」と思っちゃうんですね。
嫌になりますね、自分が。笑


結局自分のことばかり

そういえば中学の時、いつも一緒にいたクラスの友達にゲームのFF9(ファイナルファンタジー9)の話をしていたら、突然逃げられて別の友達の陰に隠れて「あいつゲームの話ばかりしてくるから嫌だ」と言われたのを思い出しました。

この話で重要なのは、僕自身が「嫌だ」と言われたことが心に残っていることではなくて、僕が自分で相手の不快な気持ちやその時の状況に気づけないぐらい、自分のことしか考えられていなかったことなんですよね。


ぼくの「親しい人をできにくくしているところ」は

だから結局僕に親しい人をできにくくしているのは、

1.相手の気持ちを考える余裕がないところ
2.「相手にとっての自分の価値」を想像して、勝手に「僕の存在はやっぱり無意味なんだ」と自滅するところ
3.自尊心が低すぎて自分の価値を対等に扱えなさすぎなところ
4.勇気を持って他人も自分も信用できず、関係が深まらないところ
5.このようなことをnoteに書いているところ。笑


あたりでしょうか。多分まだまだあるはずなんで、気づいた方は教えてください。笑


おわりに

とまぁこんな感じで、「僕に親しい人ができにくい理由」についてお話ししてみました。こうして書いてみると、なかなか困った人だなぁということがわかりますね。笑
まーあんまり考えすぎずに、場当たり的に楽しんでいくのが一番いいんだろうなーと思うんで、気楽にやれるよう地道に頑張ろうと思います。

それではまたー。

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