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2024年J2第32節横浜FC-大分トリニータ「月末のことを言えば鬼が笑う」

前節の甲府戦は試合終盤のガブリエウの劇的なヘディングゴールが決勝点となり横浜が勝利し、残り7試合で3位とは勝ち点差12。勝ち点マジック10となった。しかしながら考えてみると残りの7試合の内訳は、残留争いのクラブとの対戦が3、昇格プレーオフを争うクラブとの対戦が3、そして首位を争う清水と対戦が残っており、どの試合も気を抜けない試合になる。
ただ、今週は観客動員数が少ないという清水サポーターのSNS上の投稿に煽られていたり、翌週の国立決戦の話が出たりと、今週末の大分はまるで勝利しているかのようなあるいは忘れているような振る舞いが多かったように記憶している。
ファイター野村、野村直輝に徳島に移籍した直後の2019年と、大分に移籍した2022年にそれぞれ手痛い一撃を食らっているのに、そんな先の話がなぜ出来るのか自分には不思議だった。


何者でもない自分自身になれ

彼は何度か口にした。「潮音とユーリの中間のような選手になりたい(意訳)」と。井上のような相手を剥がしてパスでリズムを作りつつ、ユーリのように相手の攻撃の芽を摘み取る選手になる。その小倉はユーリの累積警告による出場停止でこの試合も出場機会を得た。
しかし、正直なところ小倉のプレーは精彩を欠いた。悪く言えば、井上とユーリの間をとった、結局何の特徴もない選手になってしまった。まず、守備の強度が圧倒的に足りていない。後半頭にあったようなボランチが「刈る」にはおあつらえ向きなシーンでも相手の出足を止められず侵入を許した。前半から大分の攻撃を許したのは小倉の守備がまるで機能していなかった。
攻撃においては、福森の上がったスペースを埋めるような気の利いたプレーはあったが、縦パス1本を除くと相手の嫌なところを衝くでもなく、バランスを取ることに執心していた。が、それは正直物足りない。

井上も小倉も両者とも気を遣いすぎて攻撃では中盤から前に効果的なボールは生まれなかった。

最後は自分の形が欲しい。小倉は井上でもなければユーリでもない。小倉陽太なのだ。追い込まれた場面で、それをどうゴールやチャンスに結び付けられるか。どう相手の攻撃を食い止めるのか。小倉らしさが私は見たい。移籍した和田の薫陶を受けていたのであればわかるはずだ。本当にバランスを取るのは、外側でリスクのないところでボールを受けようとするだけではなく、相手が出てくるスペースを先に埋める、相手が出てこないところを使う。彼は賢いのだからそれが出来るはずだ。

功と罪

この試合でスタメンに戻ってきたカプリーニ。ジョアン・パウロが加入してからスタメンを外れることが増えてきた。チームで背番号10を背負っている選手としては忸怩たる思いだろう。ただ、この試合では彼の持つ良さと悪さが一緒に出た試合になったと思う。

前半32分、福森の縦パスを髙橋がボールを落とすとカプリーニは裏のスペースに走りこんだ小川にスルーパス。小川は飛び出してきていた大分GK・濵田の様子を見てダイレクトでシュートを放った。濵田の脇をすり抜けたボールは無人のゴールに転がり横浜が先制点を挙げた。

福森からのパスは全てダイレクトでつながりゴールにつながった。左利きのカプリーニが流し込むようなパスを送って勝負あり。常にゴールを狙う執着心が彼の良さである。

その反面、功罪の罪とすればその執着心から生まれる突破やドリブルからのロストが多いことだろう。相手の陣内深いところでのロストなら失点の危険性も低いが、横浜自陣でのロストは失点に直結してしまう。

後半19分、福森がボールをカットしてドリブルを開始。ここに大分・中川がしつこくマークにきて福森と中川は交錯して倒れてしまう。このボールを回収したカプリーニがドリブルで仕掛けたが大分DFにつかまりボールを失ってしまう。そこから大分のカウンターが始まり、大分・高橋のクロスを受けた大分・鮎川が同点ゴールを流し込んだ。

この一連でのプレーの論点はいくつかあり、まず福森へのファウルはなかったのかという点。個人的にはファウルはあってもいいが、必ずしもファウルでもなさそうという認識だと感じている。
自分も撮影していたが、倒された福森も相手のユニをつかんでいる。これは2年前のアウェイ金沢戦でペナルティエリア付近で長谷川竜也が倒されたシーンがあったが、あの時も長谷川は競っていた相手選手のユニをつかんでいて結局PKにはならなかった。そうしたアクションがあると、お互い様、あるいは駆け引きの中で自爆とあるいはイニシエイトとして受け取られる可能性がある。

もう一つはオフサイドか否かだが、動画を見ている限りでは私はオンサイド派。腕はオフサイドにならないので、位置的にはオンサイドに見えるが、それは動画を何度も見ているからかもしれない。VARのないJ2では何度もその場で複数名で確認することも出来ず主審あるいは副審のジャッジが決定となる。

最後はカプリーニのボールロストだ。右側に2人ほど選手が走っていたのに、直線的にドリブルを仕掛けて奪われてしまいそこからのカウンターでの失点。あまりに残念なプレーの選択だった。数的有利だったが、そこを使わず仕掛けた勇気さは、やや傲慢だったか。ゴールへの意識の強さは表裏一体。先制点をアシストしたカプリーニのゴールへの強すぎる意識がカウンターの起点となってしまった。
この直後彼は退くのだが、ここがジョアン・パウロならほぼ預けていただろうと思うと、この失点は悔やまれる。

鬼の首をとったような

試合はそのまま1-1で終了。横浜はクロスを幾度となく打ち込んだが、大分も守備固めでデルランを入れてクロス対策に出てからは形らしい形を作ることが出来なかった。ユーリのように、3列目からポケットに飛び出してアクセントをつけることをする選手がいないので、クロスを単調に放り込むだけになってしまった。
三田を入れたのは、小倉にもっと飛び出してラインブレイクを狙わせる意味もあったと思うが、彼は彼でこうした局面でアップアップの状態で三田と同じように遠目からサイドチェンジかクロスを入れることで精いっぱいだった。コーナーキックの跳ね返りの目測を誤り大分ボールになりかけたが、ファウルの判定に救われて肝を冷やした。

日曜日の試合で清水も長崎も勝利したことで清水に首位を譲り、長崎とは勝ち点差10差まで詰められることになった。長崎が全勝すると、例えば横浜は1勝5分けでは自動昇格できないことになる。
この時期になるとどのチームも不思議な力が出たりする。それなのに、なぜ国立を意識していたのだろうか。清水との大一番を意識するあまり、大分を過小評価していなかっただろうか。大分ゴール裏は首位から勝ち点1をもぎ取ったことで鬼の首をとったかのような騒ぎだった。横浜の強さを認めた上で、自分たちのやりたいことを貫いた結果だった。
横浜のゴール裏は主審へのブーイングだったと思うが、それ以上に2ゴール目の形が作れないことと、ユーリ抜きでは中盤が構成できないということが露呈された。1つのジャッジで結果が変わってしまうこともあるが、それ以上に横浜が作ったチャンスはごくわずかでは、そういうことも起こりえるでしょうとため息をもらすしかなかった。

「鬼神は邪(よこしま)なし」

鬼が祀られている仏閣があったりするのだが、場所によっては鬼も神であるとされている。(特に大分県の国東半島は、鬼が神や仏としての扱いを受けていたり、鬼に対して人とつながりがあったりする。修正鬼会は鬼が寺で舞を踊って五穀豊穣を祈るという奇祭である。)そういった恐れ多い存在は、邪なことは考えないということだ。ちなみに2007年J1リーグに所属していた時に、ユニフォームのデザインが横縞だったことから、横浜は邪と言われていた。だが今年は違う。今年のデザインは縦縞である。つまり「鬼神はよこしまなし」。

今節は清水との頂上決戦。まっすぐ正面から首位争いのライバルに挑む。負けたほうが長崎に3試合差に迫られる。両者の昇格が既に決まっていて国立競技場を盛り上げる花試合ではない。2位であることに誇りと一抹の悔しさを、得失点差トップに自信を、ユーリの復帰で鬼に金棒を。自分たちの力に疑心暗鬼になるな、切り替えろ。清水を叩く鬼になれ。心も体も鬼に。


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