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怠惰と向き合う。

ある日、車を運転している時にふと、
「生きているだけで、十分なのでは?」
という言葉が、内側がやわらかくほどける感覚と共に沸き上がってきました。

それまでは、首を糸で絞められているような緊張感が常にありました。
でもこの緊張感に気づいたから、上記のことに気づいたのではなりません。逆で、上記のことがあったから、わたしってホントにずっと緊張してたんだなってわかったんです。
でも本当のところは、本当のところは、緊張してる自分は、「ふり」であって、実際のところ「そんな風に装っているだけ」なんです。
実は、その奥の奥では自分を幸せにすることが面倒くさいのです。
がーん。
だけれども、実際、わたしの中で起こった順番を書くと、下記になります。

セラピストさんとのワークの中で、わたし自身の「自分を幸せにするのが面倒くさい」と言う怠惰な感情に気づく

ネガティブな感情は全部、面倒くさい自分を隠すものだったとわかる

リラックスして「このままでも十分」という感覚になる

それまでとても緊張していたんだとわかる

その緊張自体が、身体が「怠惰な自分を認めたくない」という反応からきていた⇐今ここ


どれだけ表面上は幸せになるために生きているんだと言いながらも、
内心は緊張感が常にあって、
でもその緊張感すらも、面倒がっている自分がしていた言い訳だった。

がーん。

究極に怠惰な感情。
それはすごく図太くて、大きな塊の重いエネルギーです。

でもただ、それが自分の中にあると認めたてみたら、自分が頑張っていることとか、かわいそうに装っていることとか、ネガティブなのは全部、「ふり」で、「そうしていたら、誰かが代わりに私によくしてくれるかもしれない」から、そのようにしていたことに気づいてしまいます。
それはもう、なんか、笑えてくる。
ネガティブな自分に対して、なんか笑えてくるようになりました。
もちろん、そのことに気づく瞬間まで、それが真実だと思っていました。
でも、実ははじめにあったのは、怠惰で。怠惰を認めてしまえば、もう特に誰かの同情を乞うような自分勝手なふるまいをする必要もない。
怠惰を知らない内の自分は、本当に自分の事ばっかりで、周りが見えていなくて、他人のことを思いやれる気持ちなんて一つもなかったなぁ。

わたしはわたしの中の悪意に気づく分、自分自身を癒せると思って取り組んでいたけど、その悪意を向けていた先は自分だったんですね。
自分に対する悪意。
人生をよくしようとしないこと。
人と一緒にいる価値がないと思う事、そのどれも実は、努力を怠らせるための悪意だった。
緊張感も「ふり」であって、他人に対する自己アピールみたいなもんだった。
それに気づいて、何日か過ごしているうち、ふと冒頭の感覚が沸き上がってきたのです。
「生きているだけでいい」

怠惰を隠すために、自分を悲嘆がらせなくても良い。
そのことに思い至ると、人生は常に波があって、良いときと悪いときは交互に来て、同様に良い人と悪い人、良い場所と悪い場所、良い出来事と悪い出来事があるんだと思っていたのも誤解であったことがわかります。
そのように、ネガティブな時とポジティブな時があるんではない。
それは常に両方あって、実はその両方が自分自身であること。
楽しみや歓びとは、刹那的なものでもなく、たまにいいことが起こる、のでもなく、どの場面のどの出来事にも全ての側面がある。
だから、実のところ、わたしはどこにいてもわたし自身であるということ。

怠惰の感情が生まれたのはいつか、実はわかっている。それは、赤ちゃんの頃、ただ眠っていたころ、誰かにお世話してもらえていた頃。
本当は何時までもその頃のままでいたい。
でも、わたしはもう大人で、身体も大きくて、自由にどこへだって行ける。
自分の思い通りに動いてくれる誰かなど、今まで一人もいなかった。
母親ですら、母親の世界があってそこから動いていたのだから。
どれだけ寝て待っていても、自分以外、自分の望みを知って、叶えるために行動できる存在はいない。
私はもう、健康で成熟した大人だから。

そのことに気づけば、怠惰を脱して、毎日の生活の中で、自分が本当に望むことに耳を傾けて満たしていくことが大事になります。
掃除も洗濯も料理も、誰かの為ではなくて、自分が心地よくなるために必要で大切で、自分のためにしていると、とても幸せな気持ちになります。

そしたら「あーやらなきゃなぁ」と、義務感からの行動ではなくなってきて、自分の身体を使って、自分を楽しませることが楽しくなってくる。
そしたら、楽しいなー、って感じることが増えてきて、そう感じられる出来事に出会えることが増えてきました。
楽しいって、無理くりテンション上がってる感覚かと思ってたけど、楽しいの中にはしんどいも大変だーもあるけど、総じて良い。しみじみと楽しい、しみわたるような感覚です。

まだまだ、気づいてない自分のことが溢れんばかりにあると思います。
ネガティブになった時も、「あー今のこの出来事に、ネガティブな気持ちになるんだな」って思える時もあれば、全然わかんなくなる時もあります。
でも、今わからないってことにも正直になって、やっぱり自分自身と向き合うことを続けていきたい。

今、世の中が落ち着かなくて、そんな最中にわたしは、やっぱり私の内なる争いの火種をなくすこと、それだけが世の中を少しでも良くしていくために自分ができる貢献だと思って、やり続けいきます。
自分自身を生きる。



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