奇蹟のいろいろ

今朝見た夢(のうちの一つ)

 B寝台のコンパートメントに紳士が二人向かいあって座っていた。車窓の景色は左から右へと流れていく。まだ寝台を下ろす時間ではない。夕ぐれの気配は遠い。
 髪も髭も白い右側に座る男性は、くたびれてはいるが誂えと思しき焦茶色の三揃いを着ており上着の胸ポケットからは白いチーフをのぞかせている。
「そのとき私は思わず神に祈ったのです。どうかこの手を解かせてくださいと」
 対面の男性はまだ若く無帽の頭は油できちんと撫で付けられている。白いリネンのシャツにサスペンダー。紙巻をくゆらせながら、ほほうなどと相槌をうっている。右側の老人はつづける。
「するとどうでしょう。みるみるうちに詰みまでの道筋が見えてしまったのです。あとはもうそのとおりに駒を動かすだけでした。きっと覚えたての子供でも勝てたでしょうね。あのような体験はただ一度きりでした」恍惚とした表情を浮かべ視線を窓の外にむけた。
 若い男も相槌をやめてしまい、つまらなそうに煙を吐き出している。
 なんだ奇蹟といってもそんなものか。廊下で立ち聞きしていた僕は大いに落胆した。かつて山中に迷い三日のあいだ何も食べなかったとき、突然木にぶら下がったパンがあらわれたことがある。あれこそが神の御技である。まったく時間を損したものだ。次のコンパートメントへと歩き出した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?