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海へ行くのに水着を用意するかどうか悩んでいる

旅自体は嫌いではない。だけどとりあえず面倒なのだ。わかっている。きっとやりすぎなのだ。

今年は海へ行く予定にしている。海まで徒歩20秒の民宿だ。その民宿には今までに4〜5回お世話になっている。さあ今年はどう過ごす?考えてみた。



着いたその日に海に入って、夕方に浮き輪だのなんだの洗って干して、水着も洗濯して干して。

そうそう、洗濯物を干すハンガーも持っていかないと。

日中暑いから、ペットボトル何本持って行けばいいんだろう?
アイスコーヒー、冷凍しなきゃな。
クーラーボックスにどれくらい入るかな。

でもなんだかんだ海には入れないよね、私。



という連想ゲーム。あまり楽しいことが出てこない。実際過去私は海で何度も体調不良になり、数年かかって私は「波に酔う」という体質だとわかった。浮き輪でぷかぷか浮いても酔う、波打ち際で座っていても波で体が揺れるので酔う。だから今年は水着はいらないんじゃね?と思っている。


我ながら本当に「楽しむ」が下手だ。「楽しむ」ための準備はやりすぎてしまうほどやってしまうというのに。



先日、初めて手相鑑定を受けた。10分ほどのショートバージョン。、

私の手を見るなり「優しい人ですね」とその方は言った。

私は自分ではどちらかといえば優しいと思ってるし、面倒見もいいと思う。でも初対面の方に行っていただくほどではないかと思った。


「優しいから、面倒見がいいから、周りの人は幸せよ。だけど自己犠牲になってない?もしかしたら結果的にその人のためになっていないかもよ?」


言葉に詰まる。否定したいけど否定しきれない。自分では家族に対してもそこまで時間や気持ちを欠けているとは思っていない。だけど周りの人からは「がんばりすぎだよ」と言われるのだ。


自分の自分に対する自己イメージと、他人から見る私のイメージには乖離がある。これまでは自分の自己イメージを優先してきたが、今回はちょっと考え方を変えざるを得ない。


家族が海へ行くことにワクワクしているのに、私は行く前から準備と帰ってきてからの洗濯物のことで頭がいっぱいだ。

乱暴な言い方になるが「そういうこと」だ。


今回の旅は子たちも自分のことは自分でできる歳になった。海の準備は夫と子たちに任せよう。(と言いながら手を出している気もするが)私は水着は持たずに行くことにする。

私は海に足をつけて挨拶したら、車で1人ドライブをしてカフェでゆっくり過ごそうかと目論見中。とはいえ、かなりの田舎なので「カフェ」が存在するのか、そこまで1人で運転していけるのか甚だ疑問ではあるが。

この小さな冒険の報告を、ここでちゃんとできますように。




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