もったいないを尊重する
「もったいないなあ」
とわたしはよく思います。
例えば、飲食店に行った時。
お話に夢中になって気づけばお腹がいっぱい。
お皿にお料理を残したままお店を後にする。
お腹がいっぱいになった人間は気持ちがいいけれど、残された食材はどんな気持ちなのだろう。
お皿に残されたお料理を見ると、いつも心がチクッと痛む。
例えば、今年の秋はニットベストが流行しているらしい。
ファッションサイトには、1000円でお釣りがくる価格のお洋服がたくさん売られていて、たくさんの人がそれを買って、着ている。
でも、来年になったらその1000円以下のお洋服たちは、ごみ集積所で再集合していたりする。
思いもよらない場所で再集合した彼らは、一体どんな会話をしているのだろう。
例えば、100円ショップに行った時、
”便利グッヅ”というポップが私たちを誘惑してくる。
いかにも使い捨てですぐに壊れてしまいそうな彼らは「100円だから」という理由でしばしば、私たちの家にやってくる。
比較的すぐ使い捨てられてしまう彼らを100円で売るために、犠牲になっている人たちは何人いるのだろうか。
全部がそうだとは、思わない。
理にかなっていることはたくさんある。
「お金を払ったんだからいいじゃないか」
という意見も大いに尊重する。
「消費」することは、結果的には経済を回す。
でも、経済を回すために消費するのはちょっと違和感がある。
だからわたしは、新しい服はあまり買わない。
服を一着作るのに、人はたくさんの水を使い、限りある水は、人間のエゴによって日々残量が減っている。
誰かが一瞬でも愛着を持って着られていた服には、新品の服からは想像できないようなストーリーがある。
それは愛だったりユーモアだったり時には涙だったり。
わたしのお気に入りの一軍のお洋服は、わたしが自分自身でタグを切った服は一着もない。
だからわたしは、フードロスを減らしたい。
いつも自分のお腹と一緒にご飯を食べる人のお腹に「やあ胃袋たち、今日の調子はどんな感じ?」と具合を聞いてから料理を選ぶし、賞味期限や消費期限を相談しながら料理を作る。
わたしが今日捨ててしまった食材を、食べたかった誰かがいるし、誰かが今日捨ててしまった食材を、わたしは食べたかった。
だからわたしは、いいものを選んで買いたい。
高いかもしれないけれど、自分が愛着を持って大事にできるものを愛用したい。
なんでも買って、なんでも捨てることは多分当たり前にしちゃいけない。
もったいないから、という理由でアクションを起こすことを、貧困や卑しさだと安易に想像することは絶対に間違えている。
未来のためにできることは、きっと自分のためにできることでもある。
「もったいない」はわたしにとっての最重要アクションだ。
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