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Publicというキーワード

Publicというのは面白いキーワードだと思う。

ずいぶん前のことになるが、桐蔭横浜大学主催による「安全・安心な社会に向けて事故防止の在り方を考える集い」というものがあった。

「失敗学」を提唱した畑村洋太郎さんなどがパネリストで、「重大事故の原因調査、責任追及の制度や方法を根本的に見直す必要があるのではないか」という問題意識を出発点とし、「失敗をどう生かすか」について「専門家同士の価値観で事故をどのように予防していこうかという話が自然に出来るようになれば・・・」ということが趣旨に記されていた。

趣旨には「お役所とは全然関係ないところで、・・・・まさに手弁当で、何の義理もしがらみもなく集まった」とも記されていた。反語的に「お役所」という言葉が使われていることが面白いなと思った。

『本来、公(Public)というものは、日本でいういわゆるお役所というものよりも広い概念で、社会とは、個人をベースとしたPublicで支えるものである』とする考えを聞いたことがある。私はこの考えに賛成だ。

今回のシンポジウムの活動も、同様の考えに基づいているのではないかと思う。事故防止のための原因を探る行為も、事項防止のための対策を考える行為も、広い意味で「公(Public)としてどう対応するのが適切か」ということ、すなわち個々人に根ざしているということがポイントなのだと思う。

安心・安全というキーワードが行政の文脈で使われるようになってから久しい。しかし、いわゆる国や行政の政策推進の立場からだけではなく、個人をベースとしてPublicとして社会を考えることも大切なのだ。

それは多数決でも、極端な自由主義でもない。少なくとも私はそう思う。

そういえばwikipediaなどもそういうものだなと改めて思う。

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