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大学生とのかかわり「京都ソリデール×町田の団地」

京都の学生が高齢の地域住民宅の空室に同居する次世代型下宿プロジェクト『京都ソリデール』を知っているだろうか。

京都ソリデールとは、一人暮らしの大学生などの若者に、低廉で質の高い住居を自宅の一室として高齢者が提供することで相互の交流を図る京都府の事業だ。

認知症フレンドリージャパン・イニシアチブ(DFJI)のZoomの定例練習会で何回か話を伺う中で町田市の松本礼子さんが「同じことが町田市の団地でもできないのかしら?」と言った。

もちろん、京都ソリデールの枠組みと団地での取り組みはすぐには重ならないかもしれない。しかし、きっかけは誰かの思いから始まるものです。2つの街の思いを重ねる可能性が拓くこともある。そして「京都ソリデール×町田の団地」をテーマに対談をしてみましょうということになった。

その意味と他の街への展開の可能性についての対談が、第7回認知症フレンドリージャパン・サミット(DFJS2020:Dementia Friendly Japan Summit 2020)の2日目のセッションで行われた。

DFJSのセッションは結果のためのものではない。何かの出発のためのものだ。実際、このセッションに参加してくれた人の94%の人が「とても良かった」(52%)、「良かった」(42%)とアンケートで言ってくれた。少なくとも何かの出発の種は生まれたのだろう。

セッションに参加した京都ソリデールを動かしている大学生のメンバーの何人かは、セッションに参加した感想をレポートの形で送ってくれた。それを以下に紹介する。

 複数回に渡って参加させていただいたDFJI会議では、認知症当事者の方々や全国各地の福祉分野の最前線で働く方々との出会いがありました。私自身がソリデールの実践者であり、経験談や異世代ホームシェアに関する様々な意見交換を行わせて頂いたこと、情報を共有するだけでなく、ソリデールを客観的に見るとてもよい機会となりました。
 グループワークでお話しさせていただいた全ての方々に共通することは、「ポジティブさ」でありました。「物忘れをすること・体に衰えを感じること・介護すること・それをサポートすること」など、一般的にネガティブに捉えられやすいことに対して前向きに捉え、それぞれ個人の立場に合わせてできることを考えようとしていた姿勢がお話しの中からひしひしと感じられました。
 DFJIは、年代も職種も異なった方々が生活に関する各々の「喜怒哀楽を共有する場」としてとても理想的であり、毎回のセッション後は「参加してよかったなあ」という気持ちになっていました。1年前からのソリデールでの生活を思い返すと、詳しくは思い出せませんが、様々な場面でお互いの感情を共有する場面があったような気がします。その意味で、「生活の中での喜怒哀楽を共有し、ポジティブに生きる場」という意味ではDFJIとソリデールは共通しているとこれを書きながらふと思いました。
 岡田さん、DFJIのみなさま、ソリデールを全国のみなさまと共有する貴重なお時間をいただきありがとうございました。また何かの形でみなさまとお話しする機会があるととても嬉しいです。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

藤本慎介:同志社大学大学院修士2年

 社会からの孤立は学校という枠組みから外れた瞬間に始まると感じた。若者の地域離れは、学校を卒業し、結婚して子供が生まれるまで、地域社会に復帰できない現在の環境に起因しているように思える。セッションの中では、「気配だけでもいてくれればいい」と言っていた。「気配だけでもいい」のならば学生に対象を限らなくてもよいのではないだろうか。学生にかぎらず、現在地域社会から離れてしまっている独居若人を救っていくことも2060年の老人の孤立化を防ぐうえで重要なのではないだろうか。
 また、ブレイクアウトセッションでは、日常生活の中で人と共通・共有できる時間はどこかということが話題の中心であった。「食事」は第一に挙げられる気軽に時間を共有できる行動である。「食事」は共に食事を行う時間に限らず、準備/片付けまで含むことができるだろう。高齢者は、身体的記憶は長く保持することができるそうだ。時間のない若者や共働き家庭、シングルマザーに代わって、たとえゆっくりであったとしても、食事の準備/片付けを高齢者がおこなうことになるのであれば、それは立派な高齢者の仕事になるのではないだろうか。生活の共有はその「共有する行動」に注目しがちであるが、その行動の「前後」に着目すれば高齢者も若い人にgiveをする仕事を生み出すことが可能であることに気づいた。
 時間のない生産年齢人口に対して、時間消費に困っている高齢者。お互い何が不足し、何を補ってほしいのか、各世代の要求をマッチさせていくことは、地域包括支援や多世代でくらすことを進める基盤となっていくのではないだろうか。
 建築および都市史を学ぶ学生としては今回のセッションでは気づかされるものがいくつかあった。第一に、地域包括が叫ばれている中で、団地にしても、過疎地域の住宅にしてもあまりにも建築が現状の生活要求に見合っていないことである。例えば、バリアフリーの観点で廊下が狭いことや認知症の人が家族の眼を離れて外にでるような都市づくりができていないことなどである。その一方で、建築家はクライアントがいないと仕事ができないというのが現状である。困りごとがある人がもっと発信してほしいという気持ちもあるが、建築家がもっとその職能をいかし、とある地域に対して都市を改善する事業提案までできることも必要であると感じた。第二に、2020年の現在の様相は社会事業が取り組まれはじめた大正後期に非常によく似ているということである。大正後期という時代は、感染病/不景気/貧富の格差が叫ばれた時代である。この時代に、廉価な住宅供給/廉売小売市場/養老院/保育所/職安などが大都市各地に設置された。このときは都市基盤整備も含め、新しい機能を新しい建物を建てて対応していた。その一方で、現代はモノがあふれかえっている時代である。新しい機能をいまあるものにどう付加していくのかを考えなければならない。社会事業が盛んにおこなわれた大正後期は市民が積極的にその施設の必要性を説き、専門家もそれを研究論文や提言という形で行政に意見を提出していっていた。DFJIやその他、福祉関係に関わる人々は新しい施設タイプの要求をもっと発信していくべきである。そして自分自身、デザインの立場でその欲求・要求をくみ取り、ときには案を提示しながら解決していきたいと強く思った。

和田蕗:京都工芸繊維大学大学院修士2年

 団地は住民どうしのつながりを作りやすいので、もっと注目されるべきだと思う。
 良い人間関係を持つことは健康には欠かせないが、若者はあまり健康について考えたり調べたりしないので、核家族化に危機感を持つ人は少ない。
 自分が歳を取った時に孤独になってしまい、困った時に助けを求めることができなくなるのではないかと心配する若者も少ない。
 今現在仲間や友達に恵まれ、体に不調が来ていないからだと思われる。
 おじさんおばさん世代(?)が高齢化社会について心配していて、未来の当事者である大学生はほとんど自分の進路の心配しかしていない状況を変えなければいけないと思う。
 比較的時間に余裕のある大学生が、新しい暮らしのスタイルを作っていくべきである。
 自分一人では何もできないので、どのように発信すれば、全国の大学生の心に響いて一緒に行動してくれるようになるのか考えていきたい。

木村慎太郎:千葉大学学部4年


 団地の 4,5 階に住む学生の生活音が地域の方の活力となっているということが最も印象に 残った。また、学生が中庭のようなスペースで開催しているイベントが気になって家から出 てくる地域の方がいるということも興味深かった。このイベントが開催されているという ことも、音によって知ることとなったのではないかと考える。音によって関心が引かれてい るのである。
 現在の社会においては多世代に興味を持つことなく生活している人が多いのではないか と考える。実際にシニア世代と同居している学生は特に都市部において少数であり、これか らの高齢化社会を考えている学生も少ない。そこでポイントとなるのがお互いの関心を引 くということである。お互いを知ろうとすることが重要であると考えた。関心を引く上で 「音」はキーワードであり、お互いの生活音が聞こえる生活がこれからの社会において必要 となっていくのではないかと感じた。

小森葵:京都工芸繊維大学学部2年
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松島和伽:京都工芸繊維大学学部2年

京都ソリデールに関わる大学生のメンバーは、所属する大学も専攻も異なる。福祉を専門に学んだり研究したりしているわけでもない。しかし、高齢者と若者というテーマで真剣にいろいろなことを感じ、考えていることは間違いがない。

「多職種」という言葉が福祉の世界ではよく使われる。「専門職」という言葉も使われる。しかし、福祉の世界以外でそんな言葉はあまり耳にしない。彼らが社会にでたとき、彼らはの思いは「専門職」や「多職種」の内側にあるのか、外側にあるのか。

彼らのレポートを読みながら、ふとそんなことを考えてしまった。

訪問していただきありがとうございます。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。