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歳時記を旅する53〔敗戦忌〕中*敗戦忌男の首の金鎖

 佐野  聰
(平成三年四年作、『春日』)

 俳人の金子兜太は、昭和二十年八月十五日をミクロネシアのトラック島で迎えた。

「その朝起きてすぐにできた句が〝椰子の丘朝焼しるき日日なりき〟という句です。そして、山頂の警備隊からもどり、みんなに敗戦の事実を告げて、その晩はささやかに椰子酒を酌みかわしました。そのとき、なんというか、大きな安堵感とともに、どうしようもない喪失感を同時に味わって、その二つのいりまじった気持ちの中で作った句が、〝スコールの雲かの星を隠せしまま〟…」(『わが戦後俳句史』岩波新書)

 昭和二十二年、兜太は日本銀行に復職し、引揚邦人の持ち帰り金の交換をする窓口の仕事をしたという。
 戦後、世界経済の安定のためIMFの主導で「金・ドル本位制」が敷かれたが、それも終わった。
 句は、平和な現代で身近になった金の象徴でもある。

(岡田 耕)

(俳句雑誌『風友』令和六年八月号「風の軌跡ー重次俳句の系譜ー」)



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