考えすぎちゃう時間

最近いろんなことがあって考えすぎちゃう。悩みに悩みが重なってまた悩んじゃうみたいな、そういう時あるよね。

一つ目の悩みはこの前書いた、あれ、私って何にも出来なくない?ていうやつ。自分の中で答え見つけられたかな〜って時に二つ目がやってきた。

私の友達に対する配慮が足りなくて怒らせてしまった。いつも人の気持ちを考えられる人になろうと自分なりに気をつけてたはずなんだけど、「もうちょっと人の気持ち考えたほうがいいよ」って言われてしまった…。ううううううん、かなりショックだった。人を傷つけたことも自分が出来ていたと思っていたことがバッサリ否定されたことも。あとは「みんなも思ってるから」ってのもあってマッジで凹んだ。けどこれは流石にショックで共通の友達に相談したら「みんな思ってないから安心しな」と言われたからひとまず安心したけど、もしみんな本当に思ってないなら怒った友達は私に”みんな”という大多数が想像できる言葉で当てつけしたことになって、それもそう思いたくなくてうーーーーーーーん。

そんな時に日本に衝撃が走った悲しいニュース。

私の悪い癖なんだけど、ネガティブな感情になると物事をネガティブにしか捉えられなくなって、自分のことから社会のことまで考えちゃうネガティブ沼にハマってしまう。

今は考えや悩みを聞いてくれる友達に聞いてもらって立て直したけど、まだ色々考えちゃうよね。人間そんなに落ち込みからすぐに復帰できる人なんていないよね。

でもこうやって落ち込む時間も大事なんじゃないかなって思った。落ち込んだことで生まれる考えもたくさんあるわけだし、自分を見つめ直すこともできてる。あとは人がどんな考え方を持ってるのかなって積極的に探しに行ったりも出来てる。

今までも悩みを人に言うと、考えすぎだよ!って言われることが良くあった。その度に考えないようにしなきゃって思うけど、それでも考えてしまう自分に呆れながらどうにか抜け出そうともがくような感覚だった。でも、私が無意識に考えすぎてしまうなら、私にとってそれは必要なことなんだろう。そこで得た考えによって自然と出口が見つかることもある。どうしても抜け出せないなら外からの新しい風を受けようとすればいい。それだけのことだ。無駄にネガティブになりすぎなければ無理に考えることを放棄する必要なんてないと思う。

そんなことをこの期間に考えた。あとは心に残った言葉を1ページづつ書き留めるようにした。それは自分だけの心を支える言葉たちで、見ると随分励まされる。どの言葉も1人の人間が持つ信念のようなものから生まれたものだ。そういう言葉は胸に突き刺さる。そしてその人と言葉が持つ力に感嘆する。

今の目標は、優しい人になること。それから自分なりの考えをしっかり得て行くことだ。そしてその考え方で私の周りの人を励ますことができれば最高だ。