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うつ病Jリーガー

今回は2017シーズンの話です。

2016シーズンは
鈴鹿アンリミテッドに期限付き移籍をして、
成長して水戸にレンタルバック
することになった1年でした。

2017年は水戸でプレーすることになり、
今年こそは試合に出てやると意気込んで挑んだ1年でした。



ですが、タイトルはその真逆の
印象を持つようなものですよね。




先に結論を言うと、
2017シーズンは
オーバートレーニング症候群という
スポーツ選手ならではのうつ病のようなものに
かかってしまい、
もう一度鈴鹿アンリミテッドに移籍をします。

この1年は怪我もあり、
まともにサッカーができませんでした。





最近、SNS上での誹謗中傷が原因で
何名かの尊い命が失われています。

私の場合、原因は異なりますが、
精神的な面で悩んだという点では
つながる部分もあります。

精神的な問題というのは、
暴力とは違い、
誰もが見てわかるような傷はできません。

だから今までは軽視されてきた傾向に
あるように感じます。

しかし、誰とでも繋がれるようになったこの時代において、
この問題は確実に社会的な大きな問題になっています。





私もまさか自分が精神的に
病むなんて思っていませんでした。

むしろそういった人たちを
下に見ていた時代もありました。

弱いだけだろって。

いまの表現に不快に感じた方は申し訳ありません。








こういう人が減ってきてはいると思いますが、
まだいると思います。


だからこそ、自分がつらかったときの話を
ここで詳しく書きます。



自分とは無縁な世界だと思わないでください。



誰にでも可能性はあります。

そして、自分がそうならなくても、
周りに悩んでいる方がいた場合は、
その方への行動、言動には気を付けてください。

そのあたりも書きたいと思います。

今回の投稿は特に
多くの方に見ていただきたいと思います。

最後までお付き合いください。


1、オーバートレーニング症候群


オーバートレーニング症候群という言葉を
初めて聞く方もいると思います。

大まかな説明はここに書いてありますし、
調べれば記事がたくさん出てきます。

私の場合はメンタルが弱っているときに
激しい練習をしなければいけないということが
症状を悪化させました。

イメージとしては、
心と体のバランスが悪かったときにかかるもの
という感じです。

では、なぜオーバートレーニング症候群に
なってしまったのか。

前回の投稿で2016シーズンの終わりまでをかいたので
その続きから書きたいと思います。


2、沖縄キャンプでの発症


水戸は2015年シーズンから
ひたちなかキャンプに加えて
沖縄キャンプにも行くように
なっていました。

2017年シーズンも
沖縄に行ってトレーニングをしました。


2016シーズンに期限付き移籍していた
鈴鹿アンリミテッドで
目標のJFL昇格はなりませんでしたが、
試合経験を通じて成長することはできました。


そういった自信勢いから
はじめのころは調子がよく、
楽しくサッカーができていました。


まだまだ試合出場するには
実力的には足りなかったですが、
去年までのスタート地点とは違い、チームからも
今年はレギュラー争いに入っていけるように頑張ってくれと
言われていました。



目標を「Jリーグ出場」にして
サッカー以外のところでも
スタンスを大きく変え、
自分の中では大きな意識改革をしていました。


そして、沖縄に向かい、
約10日間のキャンプが始まりました。






しかし、この沖縄キャンプの初日で
個人的に大きな障害になるような問題が起きてしまいます。



自分の理想と現実が全く違っていたと
痛感させられる出来事でした。


自分を客観的に見ようとはしていましたが、
それは非常に難しく、
見ることができていなかったみたいです。


しかし、そんな中でもトレーニングは続きます。

キャンプの初日だったので、これから1週間以上
毎日午前も午後もトレーニングが待っています。


このとき、目標を「Jリーグ出場」にしてしまっていた私は
この目標を達成することが極めて難しいと感じてしまいます。



この時までも、目標が達成できなかったことはあります。


しかし、共通していることは
自分がその目標を達成できると自分で信じていたことです。


学生のときはプロになりたいという目標。

自分自身が下手だとは思っていましたが、
人一倍トレーニングをすればいけるかもと信じていました。


プロに入ってすぐのころは試合出場という目標。

まわりの選手たちとのレベルの差に驚かされましたが、
通用する部分もあり、そこを伸ばしていけば可能性はあると
信じていました。


そして鈴鹿に行ってからはJFL昇格という目標。

実際ギリギリでしたし、チームの結束力からしても
可能性は大きくあると信じていました。


今までの経験で、
大きな壁があると感じたことは多々ありました。


しかし、今回はその大きな壁が見えない。
まわりに何もない感じ
ものすごい遠い目標に感じてしまいました。






自分はなんのためにサッカーしているんだろう




なんでサッカー選手になりたかったんだろう




こういった思いがあふれてきて、
サッカーに対しての情熱がどんどん吸われていくような感じでした。


数日後からは練習場に行くたびに気分が悪くなり
ロッカールームで準備してからグラウンドに出るときの足が
信じられないくらい重くなっていました。




本当にしんどかったなあのときは。




サッカーのことを考えたくなかった。




けれど、実際はキャンプ中で、
常にサッカーと隣り合わせの環境。



ひとりになれる時間も限られている。



部屋も一人部屋ではない。



常にチームメイト、スタッフがいて、
サッカーのことを考えてしまう。



そんな状況でサッカーをしていく中で、
どんどん悪い方向に流れていきました。





キャンプの最後のほうでは、
GKのフィジカルトレーニングをしているときに
なにをしているのかわからなくなって

このスポーツってなんだっけ。

なんでこんなに飛び跳ねたりしているんだろう。

なんでここにいるんだろう。

と言葉では伝えられないよくわからない気持ちになりました。


そして、プレーしながら勝手に涙が出てきました。

悲しいという気持ちがあったわけでもない。

本当に不思議な感覚でした。


そこで気付いてくださった河野コーチに
練習休んでいいよと言われて早めにあがりました。


しかし、もう手遅れでした。




キャンプから戻っての練習でしんどすぎて、
もう一度河野さんに伝えて、
しばらく休暇をもらうことになりました。


確か、鹿島とのプレシーズンマッチ後の
練習試合を機に休みをいただいた気がします。


普段であれば、高校まで過ごした鹿島との練習試合に
高いモチベーションで挑めていたと思います。


ただ、そこに対しての
戦う気持ちが完全になくなっていました。




そこからは、自宅での療養。

はじめの1か月は
サッカー関係の人に本当に会いたくありませんでした。

あとは親やファンの方。

サッカーを連想させる人や、
サッカー選手岡田明久を応援してくださっている人に
会うのがつらかったです。



テレビなどのメディアを通してでも
スポーツは見ることができなくなってしまっていて、
スポーツをモチーフにしたゲームも
やりたくないような状況でした。


ときどき、急に吐き気がして
その場で倒れこむときもありました。




しかし、サッカーから一回大きく距離をとったことで
少しずつですが、私生活には支障がでなくなってきました。


急な吐き気が出る回数も減っていきました。



約2か月半後には、普通の状態まで戻ることができて、
強化部長の西村卓郎さんと今後について話すようになりました。


それまでもサッカー関係者ではありましたが、
西村さんとは定期的に会って話をしていました。


西村さんは僕の気持ちや思いを繊細にくみ取っていただいて、
まだまだ気持ちが戻り切れていないときは、
サッカーと全く関係ない話をしてくれました。

唯一サッカー関係者で会っていた人です。



本来であれば、自分が練習に全く出ていないので、
なぜ練習に来ていないのかという
リリースを出さなければいけないという状況でも
リリースを出してほしくないという
自分の意思を尊重してくださいました。


また、それに伴いスタッフ陣や選手も
岡田はどうしたの?
と聞かれた際にうまく答えて
負担がかからないように気を使ってくださっていました。









リリースを出してほしくなかった理由は、
頑張って
という言葉をかけられたくなかったら。


この言葉、精神的に苦しい人には
逆効果です。


なんか他人事に感じるんですよねこの言葉。


夫婦や恋人、親友などの親しい間柄の
今日も仕事頑張ってね
とは違うんです。





わかってるのよ。

頑張っているつもりなのよ。

その中でこういう状況になってしまったのに
気持ちをわかってくれないのかと。


ニュアンス的には
「まあせいぜい頑張ってな」
というような感じで受け取っていました。


断崖絶壁のところから
突き落とされるようなイメージでした。

まあそんな経験は無いので
あくまでイメージですが。笑





この言葉を
言っている側はそんなに深い意味を込めて
言っていないと思います。

ただ受け取る側がどう感じているか。


扱いにくい存在かもしれませんが、
こういう人には優しくしてあげてください。





精神的に弱くなっていても
そのときのことはしっかりと覚えています。


あくまでが病んでいるだけで、
はしっかりとしているんです。

だから考えすぎてしますんです。



とにかく聞いてあげてください


それだけでいい方向に向いていくと思います。





3、自分を見つめなおす。そして、環境を見つめなおす。



僕はこの時期に初めて自分を見つめなおすことができました。


最初はサッカー人として生きていくとしか考えていませんでした。


選手を引退したら、コーチになる。


この考えに対して違和感も感じず、
調べることもせずに決めていました。


いまのある環境当たり前と考え、
特に考えることをせず、
目的を定めることもなかったです。


しかし、こういった経験をすることによって
なんでサッカーをしているんだろう
自然に考えるようになりました。


目的をもう一度を見直し、
考え直したことによって
このサッカー選手という環境ではなくても
自分の目的を果たすことができるのだと
気づくことができました。


引退を考えたのはこの時期からです。


サッカー選手は目的のための手段


この時期は本当に辛かったですが、
いまになってみるとむしろ良い経験だったなと感じます。


いろいろな考えを持てるようになり、
頭が前よりも格段に柔軟になりました。






打たれ強い人のことを
メンタルが強いという表現をします。


ただ、僕はこの表現には足らない部分が多いと思っています。

打たれ強い人は
頭が柔らかくて、心が堅い人のことです。


どんな考えアクシデントも受け入れられる
頭の柔らかさに加え、
ぶれない信念を持っている人が
本当にメンタルが強いと言える人です。


状況に合わせて選択できることが重要。



男に二言はないという言葉はもう死語だと考えています。



会社にしても、終身雇用が当たり前で、
一度決めたことを最後までやり通すことが美学と
されてきた時代とは違います。


もちろん、全部が中途半端ではいけませんが、
今ある環境を捨てること、そして逃げることも
選択肢の中にはいれておかないといけません。






僕はオーバートレーニング症候群になって
水戸の環境から逃げました。


その逃げた結果、
鈴鹿でもう一度サッカーの楽しさを味わえることができて、
自分のにはサッカーがあるのだと実感できました。


いまも株式会社ホリプロスポーツの部署に所属され、
現役サッカー選手の槙野智章を含めた
スポーツ選手のマネジメントをしています。




やっぱりスポーツっていいな。

人の心を大きく動かせるエンターテインメントだな。

これからもどんな手段かはわかりませんが、
スポーツ界には関わっていきたいですし、
盛り上げていきたいです。





さらに今までの自分の経験から、
教育という側面にもかなり興味があります。


こどもたちにいろいろな経験をさせてあげたいし、
そこから成長できるように自分が
力になってあげたいなと考えています。


鈴鹿でスクールを教えている時も
サッカーの技術面や言動、行動で
子供たちの成長が感じられることが
多々ありました。

そのときは自分も嬉しかったですし、
やりがいを感じていました。





そして、このメンタルの部分。

考え方のことなども
もっと多くの人に届けたいと思っています。

この気持ちが
noteを始めたきっかけでもありました。


これも教育の一部だと思うので、
また新たに取り組みができたらと考えています。









そして発信することによって
なかなかできない貴重な経験を
させてもらってきているなと改めて感じます。


発信の重要性を
このnoteを書くたびに思います。




4、最後に


この記事を通して一番伝えたいことは
精神的な悩みと言いうのは誰にでも起こることがあり、
自ら命を落とすことも
他人事とは思ってはいけないということです。


本当にここ数年で
かなり多くの人が悩む問題になっています。


以前、水戸のときのGKコーチである河野さんが
SNSでこうつぶやいていました。



SNSを使うにあたって決めてるルールは
「面と向かって言えない事は呟かない」



本当にこれに尽きると思います。

どれだけの人がこの考えを持てているのか。

こういった発信を通して、
ひとりでもこのような考えの人が増えればいいなと思っています。


一度自分を見つめなおしてみてください。

私もまだまだ未熟者なので、
こういった発言にもっと信頼を得られるように
活動していきたいと思います。







最後までよんでいただいてありがとうございます。

この記事は特に読んでほしいものなので、拡散お願いします。


次回は、オーバートレーニングから
立ち直り鈴鹿アンリミテッドに再び移籍したところから
書こうと思います。




岡田明久

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