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老いること

 実家の母が大きな病気を患い、ある病院に行くことになった。年老いてだいぶ耳も遠くなり、もともと話すスピードも遅い母は、自分よりも年上の父に付き添われて医師の診察を受けたが,そのときの様子を父が嘆く。

 その医師は,決して母に向かって話そうとしない。

 ごく普通の声とスピードで父と母のほうを向いて話すのを、看護士さんが通訳のように間に入り、母の耳元で大きな声で言う。父も言う。父は年齢の割にしっかりしていて、とはいえ頑固なところはあるけれども、ある趣味サークルの団体の責任者をやっているくらいには頭ははたらいている。ただ、手術をすることになった母の付き添いに、遠く地方の田舎町に住む私がいないことが理解してもらえなかった。実家の父母は都市部にいる。コロナのことさえなければ、もちろん行く。しかし今は無理なのだ。その医師は私に「なぜ来られないのか,お父さんはしっかりしているようで話が通じない、お母さんは認知症がひどい」と言う。

 その医師と電話で話して感じたのは、この人は年寄りのどんくささとかみっともなさが本当に嫌なのだ、おそらく。たまたまなのか、これまで仕事でも私生活でも老人と接したことがほとんどないのでは、と思うほど老いに伴う諸々の面倒くささを許容しない。

 結局、病院を変わることにした。

 それでも、どこか釈然としないものが残る。老いは誰にでもやってくる。今こうしている私にも感覚的には毎秒うっすらとしかし着実に老いは全身のどこかにすみついている。その医師に伝えたい。あなただって40年、50年経てば母のように、あるいはもっと大変な状態になるかもしれないのだと。

老いていくとわかっていても私から見えないところがもう老いている/岡桃代


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