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☆#145『窓際のトットちゃん』黒柳徹子

 凄く懐かしいこの本を読む。いつ読んだのだろうか?高校生の時とかだろうか?当時の自分には決して分からなかった素晴らしく美しい人間の交流に震えた。年を重ねて良かった、と思う。
 あまりにも有名な本なので内容の紹介は割愛。
 文章が素晴らしい。呼吸するかのようである。子供が実に色々感じていること。その内的世界を隈なく汲み取り慈しむことのできる先生の存在。奇天烈だったトットちゃんが、自分を超える奇天烈な環境の中に居場所を見つけ出していく過程(過程、というか、あっという間)。
 随所に見られる柔軟さ、素朴さ、奥深さ。どこを取っても非の打ちどころのない傑作である。本が、ではなく(本も傑作だが)人としての在り方が。
 トットちゃんの両親も素晴らしい。もう本当に何から何まで素晴らしいのである。人間にとって大切なことを教えてくれる。
 悲しいことは、これは「教えてくれる」のであって「思い出させてくれる」のではない。思い出すということは、先行体験があって、それを忘れたということだ。しかしそもそもこの友愛や自由や尊重の精神を私たちは体験していない。だから「こんなふうにもなれるのか」と憧れの気持ちを持って眺めるしかない。自分もこうなろう、と思ってもそうそう出来るものではない。そんなたやすいことではない。
 それをやり切ってしまった校長先生に魂レベルで脱帽する。
 空襲によって校舎が燃える。その炎を見ながら「次はどんな学校にしようか」と呟く先生。人間を愛するために生まれた人間の美しすぎる生き様を見た。

 追記。黒柳徹子の記憶力にも脱帽する。何と密度の高い人生を生きていることだろう。私なんかほとんど全て忘れているというのに…

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