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「違和感」の正体。

仕事をする上でも、生きていく上でも、心の中に言葉にできない「モヤっと」した違和感を抱くときってありませんか?

モヤっとすること自体は全然悪いことではないと思っていて。
モヤモヤと同時にすごくワクワクしたり、新しい気づきで考えが拡張されるような「良い違和感」の場合もたくさんあるからです。

だけど虫の知らせというか、何だか悪い方向に向かってるなぁーという、「悪い違和感」の場合も確かにある。


どうすればこの「良い違和感」と「悪い違和感」を嗅ぎ分けることが出来るのか。
という問いでここ半年ほど「モヤっと」していた私が、最近メカラウロコしたのが「無我の創造(Egoless Creation)」という考え方です。


「無我の創造(Egoless Creation)」とは:

よく小説家が「自分はストーリーを考えていない。登場人物が勝手に動きはじめたのだ」とか、作曲家が「メロディーが降りてきた」とか言う、あれです(雑)
創造活動をする上でたまに見る、「作者はつくっているのに、つくっていない」状態のことを言います。

詳細は、慶應SFC井庭教授の下記スライドにまとまっています。

良い違和感と悪い違和感

私にとって「良い違和感」があるとき、話し相手やチーム間で同じ理想が共有出来ていて、それぞれが点の情報も持っている。
でもその結び方が分からなかったり、足りない点があると感じている。
意見が対立したり試行錯誤して苦しいんだけど、同じ理想に向かってみんなで一歩ずつ進んでいってる実感が持てるとき。「無我の創造」上での「発見」ができているときなんだと思います。

反対に「悪い違和感」があるときって、理想の状態以外の見えない要因が隠れている。
そもそも理想の状態が分からなくなっているのかもしれないし、チームのみんなと共通の理想を掲げていないのかもしれない。また、理想と自我をあまりにも近い部分に置いてしまい、独りよがりになって、無我の創造に必要な「あるべき姿」を見ることができなくなっているのかもしれない(先日書いた箱の本の「自己欺瞞」の状態にも似ている)  


最近仕事をするとき、チームやクライアントとまず「理想の状態」や「あるべき姿」についてを話し合います。
なにかをする前に、はじめに「理想の状態」がみんなの頭上に共有出来ていれば、各々がそこに辿り着くまでの過程は、人それぞれでいい。そこにまた新たな「発見」も見出すことができ、無限ワクワクの状態が生み出せるのです。

企業においてミッションやビジョンが大切なのも、掲げたみんなでこの「無我の創造」状態に突入することが出来るからだと思います。


創造のメタファーは工場ではなく植物

これも同じく井庭教授の言葉です。

「創造する」ということは、効率を求めて分業して大量生産を行うことではない。植物を育てるように、様子を見ながら寄り添い、関わっていくことだ、と。

ゴールデンサークルで有名なサイモンシネック氏も、"How To Make A Plant Love You"(植物に愛される方法)という本と共に、いかに植物が人間同士の関わり合いやリーダーシップにおいても示唆に富んでいるかを紹介しています。

(超意訳)もし私たちが、植物が私たちに対して求めているもの(そして私たちが植物に対して求めないもの)を聞くことを学べば、私たちは人に対しても同じ質問が出来るはずだ。
この発想の転換はまさに「サーバントリーダーシップ(まず奉仕をしてその後導くリーダーシップ)」そのものだ。
そしてもし、私たち皆がこの方法を習得できれば、私たちの生活やコミュニティや人生は、どんなに素晴らしいものになるだろう。


きれいな花が咲くように、みんなで慈しみ水をあげていくような、そんな創造活動をしていきたいな、と思います。

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