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思想「義務」

大人には子供を教育する義務があるが、
昨今の多くの大人は自分の自由への権利だけを主張して、義務を果たすことをしない。
教育には責任が伴う。そして責任には重圧がある。
重みを嫌って汚れを避けて軽く生きることだけを望む大人が増えた。

一人一人の大人が教育を放棄することが増えると、「教育は大事だ」と言いながら、それを自分ではやらずに社会に求め出す。
国にすべての役割やその責任をなすりつけ始める。
これまで責任を持って国を運営してきたのは、今までの大人たちだ。その大人たちも元は子供で、子供から大人になって責任を果たしてきたから国が秩序を保ってこられた。

大人が責任を負わなくてもいい社会とはどんなものか。
大人が大人の役割を果たさない国はどんな進化を遂げるのか。
悲劇が待つのか、特に何の問題もないのか、ただ幸福が増すのか。

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大事なことであればあるほど、必要であると理解はできるが責任は負いたくない。怖いからだ。
自分の教育が間違っていたら嫌だから。
間違っていたら責められるから。
責められたら自分のすべてを否定されたような気になって、必要以上に傷付いてなかなか回復できないから。

結局、自信のなさが起因か。
大人から自信が失われると、ろくなことにならないのだろう。
自分を信じられず、そうなると他者との信頼関係の構築も難しくなり、やがて社会全体の活気にも影響が出る。

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自由には責任が伴うという。私はまだその責任を認識したことがない。自分のするべきことにもしたいことにも真摯に向き合ってこなかったからだ。

今の自由な時代に感謝して楽しく生きようとしない私がおかしいのだろうか。
私がおかしいのでないとしたら、今の時代の何が間違っているというのだろうか。
面白おかしく愉快に自由に生きていくことに、私は何のしがらみがあるというのか。
それをすることに違和感があるから、素直にそうできない。
ただ単に勇気がないだけなのかもしれない。
みんながみんなやりたいことだけをやって、それでいいのか? それではだめだと思っているのか?
今の私には何でもかんでも自由にやる勇気がない。
臆病すぎて批判も非難も恥をかくことも受け入れられない。
誰に何を言われてもやりたいようにやっている人への憧れはずっとあるのに、自分ではなかなか真似ができずにいる。

こういうことは、白と黒、ゼロか百、良い悪いなどをはっきり分けたがると必ず苦しむ。
私はおかしくないし、時代もおかしくないんだと言い聞かせて一度思考することを終わらせなければ、死にたい病がやってくるから気をつけている。

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