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6年後は干支の山と思っていたら、気づけばそれはもう1年後に【2015.02 牛松山】

昼下がりの頃合い、電車を乗り継いで亀岡駅に降り立った。偶然、写真で切り取った風景は、中東の乾燥した地域の川辺の景色によく似ていて、一気に気持ちは異国情緒へと引きずり込まれた。京都の中で京都を感じさせないその風景は、旅情を想起させるのに余りある雰囲気を醸し出していた。踏み出す一歩の足取りは軽く、どこか遠くの国の匂いがする。

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牛松山は、干支の丑(牛)がつく数少ない山のひとつであるため、丑年の初登山に登りに来る人が多い。未年の2015年からすると6年後の話で、東京五輪も終わっているほど先の話だと思っていたが、気づいたら来年が丑年で、東京五輪は開幕すらしていない。

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標高を上げていくと亀岡市内を見渡すことができた。牛松山の北側は愛宕山に通じ、亀岡市内を挟んだ向こう側には大阪の能勢町の山々が聳える。地理関係が分かると一層楽しめる。京都の亀岡と大阪の能勢が隣り合わせなのも面白いし、牛松山が嵐山の愛宕山と背中合わせなのも面白い。山は登った側の印象が強いので、その裏手には関心が向きにくいが、こうして様々な地域の山に登ることで、文字通り違った角度から山を見ることができ、山の相対的な位置関係が理解できる。京都市内の文化圏と、大阪能勢の文化圏、その狭間にある亀岡という町。亀岡の異国風情も、こういう面白い位置関係からきているのかもしれない。

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うっすらと雪の降り積もる山には鳥居が立っていた。地域の信仰の対象となっているようで、山頂には金比羅神社が建てられている。アルバイトの後輩が亀岡出身だったので話を聞いてみると、中学生の頃に体育の授業で牛松山を登らされたらしい。こうして私が登山として登っている山は、信仰として登られたり、あるいは体育の授業として登らされたり、登る人の背景や立場が違うだけで全く関わり方が変わってしまう。それこそが地域の山の面白さであり、低山の多い関西の山の面白さだと思う。

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モンベルで買った新品のフリースパーカーのおかげで、山頂部でもそれほど凍えずに済んだ。夕刻が近づくにつれて寒さは増していったが、それでも地面に積もった雪には雪解け水がパラパラと降っていて、雪が雨粒のかたちに溶けていた。山頂には誰もおらず、雪原に雨粒のかたちが記憶されるばかり、冬が春へと伝える季節の刻印。

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下山を始めると、檜林の奥から深い夜が迫ってきた。深い深い森の夜。足早に下山しつつも、心のどこかでこの暗闇の醸成する雰囲気を楽しんでいる。夜は空からやってくると思っていたが、夜は森の奥から湧いてくるものでもあったのだ。

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亀岡駅まで歩いている途中で太陽は沈み、空から夜がやってきた。夜は夜だけども、亀岡や嵐山の町中の夜は人工的な明かりによって管理された夜であり、牛松山でみた深い森の暗闇とはまた何かが異なる。

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それは6年後の未来をひとつも見通せない私たち人間にとって、先の見えない夜の豊かさを教えてくれているかのような、そんな夜だった。

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